最近の記事

若者の浮世離れ IV

最近また精神を病んでいる。信じられないことだが、このわたしが自尊心や自己肯定感を完全に失うことになった。わたしは私的三大高慢野郎の一角を成していたはずなのに…… と昨年10月から散発的に、薬の副作用に苦しめられている。言いようのない不安が心中を圧迫し、そわそわして部屋中を歩き回る羽目になる。 はじめて経験したときは酷かった。明日友人との予定が入っているが、果たして定刻通り会えるだろうか? 明日は山登りをしようという予定だが、体力が衰えているいま果たして山登りができるだろうか

    • 若者の浮世離れ III

      この記事はいまこのときにしか書けないので、書いておく。それどころかすでに"その"時期ではない気さえするんだけど、書いておく。 えーっと、年末年始の東京遠征で浮気した。それを彼氏に話した。関係性には多少変化があったけど、彼氏は変わらずわたしの隣にいてくれている。 で、それからというものわたしの精神はぐちゃぐちゃになっている。浮気やこの混乱の裏にあるものがだんだんと見えてきたので、書いておく。 ゆく年くる年まあ、まずは時系列かな。 昨年の12月28日から、今年の1月2日まで

      • なにか書きつける VI

        先日フォロワーがこんな記事を書いた。 また、こんな記事もある。 キッサテニウム、或いはサテニウムとは曰くこういうものだ。 気の置けない仲間と喫茶店で談笑することで得られる、仮想の脳内物質。中毒性が高く、その欠乏は死を招くが、摂取するにも一定の素地と教養を必要とする厄介な物質だ。 以上の記事における"友人たち"、つまりわれわれがなにかと喫茶店に入りたがるのは、喫茶店でしか得られないもの――サテニウムを補充せんがためである。サテニウムの正体については二つの記事を読んでいただけ

        • なにか書きつける V

          小説、それも短編集のような体裁のものを書こうとしている。完成するかはわからない。 ザミャーチンの『われら』を彼氏から借り、読書筋のリハビリがてら読んでいたら、今年いっぱい鳴りを潜めていた執筆欲が急に湧き出してきた……ので、短編のうち一つは前1984的ディストピア文学に大いに影響を受けたものになると思う。都市や都市計画、都市の勃興と凋落の話とかも書きたいから、そういうものにもなる。かつ、わたしがこれまで取ってきた姿勢と大きく異なることに、(いままさに)わたしが経験していることや

          なにか書きつける IV

          昨晩はわたしと彼氏の一年記念日を(少し早めに)祝った。できる限りで昨年のルートをなぞった。川沿いを歩いたりパフェを食べたり、平安神宮の大鳥居が夜空に似合ってそびえているのを眺めたりした。更に言えば彼氏と出会ったのは年に一度のオンリージャンル同人誌即売会の前日で、ほんとうなら今年も明日あたりに開催されていたはずだったのだったりするのだけれど。 表立ってこの話を取り扱いはじめてからそろそろ1週間が経つ。経つのだけれどこれ以上飛躍するのは難しいかもしれない。行き止まりが見えてきた

          なにか書きつける IV

          若者の浮世離れ II

          えーと、まず、ミゾヲチ氏が自意識の件で記事を出した。貼っとく。 この話はまた膨らませて書く気がしている。わたしの仕事は風呂敷を広げまくることなので、まだやるべきことは残っているはず。 今日は宇治市をいくらか観光した。まとまったことはあんまり書けない。 平等院まわって、国宝たくさんみて、それから宇治上神社までいってみた、だけ。そういえば宇治には黄檗宗の総本山があったな。わたしも臨済殴りたいな。 それから薬がふえた。 いまの薬は飲んで1時間もすると強烈な不安が襲ってきて、飲

          若者の浮世離れ II

          自意識とその漏出

          今日は昼過ぎの鴨川で二枚貝くんと会って、普段話せないようなことをたくさん話した。いま思えば、2つの着想が今日のおはなしに一貫した影響を与えていたので、その話を書く。それは、自意識の漏出という発想と、予感や予兆そしてなにより示唆に関する一連の批評感覚だ。 なので珍しくタイトルつき。なにか書きつけるシリーズでも良かったのだけれど、長文になったから。 充満する自意識我々は我々の輪郭を確かめるのにいつも必死だ。どこまでが私であって、どこまでが私でないのか、なにが私の一部であって、な

          自意識とその漏出

          なにか書きつける III

          今月は珍しく満月が二度訪れた。一度は中秋の名月というやつで、それからいま一度、世間ではハロウィンとか呼ばれているただの月末にやってきた。 月夜の明るさは、満月の日といえど日中の36万分の一だという。それでも、むなしく頼りないものだとは感じない。現代人は街明かりや街路灯に甘やかされてしまうけれど、人工の明かりに乏しい時代、夜半の徘徊を嗜むこうしたひとときなどは、月明かりがさぞ頼もしい道案内役となったことだろう。 月。 地球のほかに人類が降り立ったことのある、唯一の天体。 私の

          なにか書きつける III

          なにか書きつける II

          一つ前の記事で"若者の浮世離れ"と書いたが、その実わたしは、若者と呼べたものではなかったり、する。若者らしいファッション、若者らしい生活、若者らしい趣味、嗜好なんてものにはまるで無縁だし、典型的な若者というのを私はつくづく嫌っている。私の書く若者とは、そういう意味で、つまり馬鹿者でしかない。 けれども、もう長いこと私は若さを武器にしてきた。つくづく都合良く、若さを振るっていたのだった。その反省も込め、少しばかり書きつけることにする。 思うに、若さというのは受動性と能動性の総

          なにか書きつける II

          若者の浮世離れ I

          やあ。今日10月29日は突発お泊り会をしたよ。0時過ぎに彼氏と合流して、彼氏をそのままお風呂に放り込んで、寝て、お昼には素敵なインドカレー屋で素敵なインドカレーを食べた。語りきれないくらいいろいろあったのさね。充実した一日だったことよ。 というのもここ数日、おそらくは薬の作用だと思うのだけれど、一日一日に充足感を求めすぎる癖が付いてしまっているのよね。 いま処方されているのはラツーダ、60mg/日。その前はビプレッソ、300mg。薬を変えてから傾眠に悩まされることはなくな

          若者の浮世離れ I

          なにか書きつける I

          美術をやっている人間の美術の話を読んだので、私もなにか書きつける。そのうち私的人形論とか私的戦車論とか、詩的美少年論とかも書くことになると思う。 先刻読んだ記事に、"それ"以前の美術はひたすら三次元を二次元に落とし込む、写実あるいは捨象することに終始していたが、現代美術は空間を越え三次元を越え、また一つ異なる軸を――たとえば時間を――取り込むものなのだ(だから現代美術というとやたらと立体なのかもね)と書いてあったのだけれど、これについて幾らか書くことにする。というのも、私の

          なにか書きつける I

          はじめた

          先日フォロワーがこんな記事を書いた。 のに呼応して、いまひとりのフォロワーがこんな記事を書いた。 この記事がタイムラインに流れてきたのは、先立っての"自分の中にしか自分が居なかった"フォロワーとわたしが、3年ぶりにオフ会をして、"自分の中にしか自分が居なかった"記事の解題なりなんなりをしながら、鴨川に干渉縞を形成していた頃のことであった。 これらの記事の筆者、そひか、ミゾヲチ、そして私あにろりは、私の知る限りで高慢さの大三元を形成している、三大高慢野郎とでも言うべき人間だ

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