なにか書きつける V
小説、それも短編集のような体裁のものを書こうとしている。完成するかはわからない。
ザミャーチンの『われら』を彼氏から借り、読書筋のリハビリがてら読んでいたら、今年いっぱい鳴りを潜めていた執筆欲が急に湧き出してきた……ので、短編のうち一つは前1984的ディストピア文学に大いに影響を受けたものになると思う。都市や都市計画、都市の勃興と凋落の話とかも書きたいから、そういうものにもなる。かつ、わたしがこれまで取ってきた姿勢と大きく異なることに、(いままさに)わたしが経験していることや抱えている劣情、ひたすらに秘してきたはずの理想の女性像なんといったものを存分に発露する予定である。なんだかなあ。
で、実はこの未成の短編集、白紙のうちから既に題が付けられている。それどころか、各々の短編に至っては題名が先にあるような状態だ。この未成の短編集が世に出るときには、この短編集は"黄金時代"と呼ばれることになる。
黄金時代。ギリシア神話では、人間はかつて現在よりずっと優れた時代、調和に満ち、諍いもなく、飢えや渇きも知らなかった時代を生きていたのだと説かれている。そののちクロノスをゼウスが討つと、黄金時代はその終焉を迎え、白銀時代が始まる。白銀時代の人間はゼウスに滅ぼされ、争いの絶えぬ青銅時代が始まる。そしてこれに続く英雄の時代も今や終わりを告げ、われわれは今、堕落したできそこないの種族として鉄の時代を生きているのだと、そう説かれている。まあ、段階的な楽園追放といった趣だ。
黄金時代に生きた人間は不死でこそないが不老長寿であり、人類が農耕と定住を獲得する以前の生活、狩猟採集と言ってもいい生活をしていた。常春の大地は彼らを養うだけの木の実や甘露を自ずから作り出し、穀物さえ与えたという。
今度の短編集では、都市とか、性産業とか、売春とか、豊穣の地に蜜とネクタルの川が迸るような満ち足りた時代にはおよそ不要なものが主題に据えられている。そういったものについて書くのは――ただ単に私が女の子を買いたいからではあるけれど――人間にとって雑多で不要で本筋でないはずのそういった猥雑なことがらも、いざ人間から切り離そうとすると不都合と違和感を生じるのだと、そういう話を書きたいからなのだ。そしてだからこそ、黄金時代という題が似合うと思ったのだよ。
京都に移り住んで8ヶ月、東京が恋しくて仕方ない。東京の雑多さ、粗大さが恋しくて仕方がないのだ。
だから、これもある種の東京讃歌として、猥雑な短編集を書こうと思う。読んでくれると嬉しい。
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