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若者の浮世離れ III

この記事はいまこのときにしか書けないので、書いておく。それどころかすでに"その"時期ではない気さえするんだけど、書いておく。

えーっと、年末年始の東京遠征で浮気した。それを彼氏に話した。関係性には多少変化があったけど、彼氏は変わらずわたしの隣にいてくれている。

で、それからというものわたしの精神はぐちゃぐちゃになっている。浮気やこの混乱の裏にあるものがだんだんと見えてきたので、書いておく。

ゆく年くる年

まあ、まずは時系列かな。
昨年の12月28日から、今年の1月2日まで、6日間、東京に帰省していた。このご時世とはいえ、生活と精神安定のために決行した。

出発前日にあたる27日には友人である錆烏女史と彼氏との三人でぼたん鍋を囲み、クリスマスパーティーをした。彼氏と二人で錆烏氏の両手を取りなにかと巨大なスーパーマーケットまで買い出しに行ったのが、今は懐かしい。

そしてその翌日朝10時、わたしは感染拡大真っ只中の関東平野へと、新幹線のぞみ号によって射出された。令和の世にも輝きを失わない夢の超特急に、最高時速285キロという超高速で輸送されながら、とんでもなく硬いアイスクリームを食べた。フレーバーはマロングラッセ、新商品だ。
もともと乗り物酔いに弱く、揺れの少ない新幹線にすら幾度となく敗北してきた私だが、至って快適に過ごすことが出来た。昨年夏頃の遠征では行きでも帰りでも気分を悪くし、実家で何度となく吐いたのを覚えている。N700A編成とN700系無印とでは、いくら改良したとはいえ乗り心地が異なるようだった。

そして到着してから数時間は新宿や池袋の街衢を、コヤニスカッツィの劇伴を掛けながら歩いた。今はなき新宿西口に、そして来た道の遠さに幾許の懐かしさを覚えながら、新宿市街を一周し、地上を歩き地下道を歩いた。"The Grid"のパートの劇伴は、都会における社会生活の驚異を、そう、新宿や池袋といった大都会で時折感じるような衝撃を歌い上げている。人間讃歌と言ってもいい。これだけ大きな都市を、大凡の都市計画からその部品一つ一つに至るまで、人間は作り上げたのだ。そしてわたしも大都会その一部として都市に溶け込み、一つの動作部品になる。そういったとき、わたしは無上の喜びを覚えるのだ。

池袋の東口エリアの雑踏とサンシャインシティの混雑を往復して、それからわたしはインターネットの友人、Yくんと出会った。つい一年前までのわたしと同じ西武池袋線の沿線住民らしい。彼と合流して、すぐ私の行きつけのラーメン屋に入った。それからこれまたわたしの行きつけであったカプセルホテルに今晩の宿を取るべく、サウナにでも行こうと言ってわたしはYくんと上野へと向かった。サウナは疫病のおかげで完全予約制となってしまっていて、ただの友人とも平気でサウナに入るサウナホリックのわたしとしては意気消沈もいいところだったが、Yくんとはその後無印良品で丁寧なコーヒーを飲んで解散した。

Yくんとは2時間ほどしか一緒にいなかった。思えば彼とも浮気しようとして会ったのだけれど、卑近な話彼はクリスマスに女の子で童貞を捨てたばかりだったから、やっぱり男とセックスするなんてとんでもない、と彼に言われてしまった。当の私は私で、素人童貞同然、いやまったく童貞臭く早口オタク臭い彼とセックスする気もなく、今回のオフ会はハズレだったかと悲しくなった。大概、ラーメン屋に入るという行為自体、お前とセックスする気はないという意思表示のつもりだったのだが、彼は気づいてくれただろうか。

そう、年末年始の東京遠征は何を隠そう浮気旅行だった。いや、完全にそのつもりで予定を組んだわけではないが、あわよくば、という感覚は間違いなく出発以前からあった。Yくんはとくに本命ではなく、ともに池袋を根城とするSくんこそが本命だったのだが、彼とはついぞ都合が合わなかった。言うなれば、今回彼がこの物語に登場しないのは、都合が合わなかった程度でしかなかったのだけれど。
Yくんと、彼のクリスマスでのお相手Bちゃんとのいちゃつき具合に心を痛めていたわたしは、この時点で既に女の子とのセックスを渇望しはじめていた。女の子は素敵、強い女の子はもっと素敵だ。それどころか、クリスマスパーティーで彼氏とのいちゃつき具合を擬似的寡婦たる友人に見せびらかしている間も、東京遠征の成否を占っていた。しかも罪悪感すら覚えず、妙に高揚して、この翌日、29日の大本命との逢引を待ちわびていた。

29日。上野のカプセルホテルで目を覚まし、開放感のある大浴場で朝風呂を済ませたわたしは、homoo.socialという同性愛者の寄り合い所帯と、そこを根城にする同性愛者どもに、手っ取り早くオフ会のアポイントを済ませた。わたしは秋葉原へ徒歩で向かい、万年寝不足の彼らがわたしをひと目見ようと集合するのを待った。
その日は午後から予定が入っていた。わたしの唯一のリア友であり、二人の元カノの片割れ、そしてセフレだったIちゃんとの逢引だ。Iちゃんは中学時代、わたしの本命が彼女でないのを知りながらわたしと交際し、わたしに何もされず幻滅して帰っていった経験を持つ。ただそれだけでわたしと長いことつるんでいた不思議な子だった。家庭環境と男運が悪い典型的なメンヘラで、中学時代ははっきり言ってパッとしない子だったが、その前後で数多の失恋を重ね、とても可愛くなっていた。わたしは今でも彼女のような黒髪ボブ地雷メイクのメンヘラに心惹かれてしまう。メンヘラの扱いを多少学べたのも、彼女と細く長い縁が結ばれていたからだった。
昔形のみの交際をしたというだけでわたしは彼女とセックスしたり、しなかったりしていた。つまりは偶然得た役得ってやつだ。

秋葉原でのオフ会はそこそこ刺激的だった。わたしをひと目見たいという殊勝なやつが4人いて、集団でファミリーレストランに入ったりカフェに入ったり、はたまたできたてホヤホヤの無料相談所(秋葉原に、だ)を視察したり、秋葉原初の無人販売小売店と銘打った、生活家電やマスクがこれでもかと安売りされている店に野次馬に行き、水素水生成器を中国から仕入れてパッケージをつけて売るような怪しい卸業者が首魁であり、そこの頭の切れるやつが珪藻土バスマットでやらかした別の卸業者とも結託して在庫処分を行っているらしいことを突き止めたりした。ただ、夕方には会えるというIちゃんと昼先から連絡が取れなくなり、夜になってわたしが完全に諦めたころに、4人組のうちの一人、Jくんの部屋に泊まらせてもらう運びと相成った。人生最高の一夜が(彼氏とでなく)Iちゃんとの一夜であり、Iちゃんのことをそれはもう随分と引きずっていたわたしは、このときJくんにターゲットを定め、そして食らいついた。男同士とはいえ、Jくんの日頃の鍛錬のおかげで簡単にセックスができた。こういったときのわたしというのはほんとうに手慣れていて、男の子一人食べるくらい造作もなかった。

30日の昼過ぎから2日の朝までは、ミゾヲチ氏の古民家シェアハウスに滞在した。感染拡大著しい都会を離れることもできたし、宿代も節約できた。煙草二箱、それと珈琲豆だけで3泊4日、男子8人ほどで賑やかな年越しをさせてもらった。こういった楽しい年越しというのは新鮮だった……実家にいる間そんな経験はなかったのだ。これについての記事はきっと、ミゾヲチ氏が書いてくれるだろう、高慢オフの記事すら書けていないようだがね。

そして2日、多少実家に滞在したのちわたしは京都まで帰ってきた。5日6日と彼氏とデートし、8日になって、彼氏に浮気したことを切り出した。10日11日はそれぞれ当日彼氏の都合でデートすることが叶わなくなり、その前後は精神の安定がとれず、見捨てられ不安と空虚さを交互に感じていた。そして昨日12日、今日13日と例のない高頻度でデートすることで、精神の安寧を取り戻しつつある、というのがこれまでの経緯だ。

背景

昨年末に人倫を逸脱してからというもの、随分と悩んだ。彼氏との関係も不可逆的に変わってしまったし、今後どうすればよいのかまだ分かっていない。だが、こういった行為に及んだワケはなんとなく、掴めてきた気がする。
わたしはSNSでもう長いこと、性経験が豊富だが浮気性の怖いお兄さんという扱いを受けていた。我ながらよいポジションに収まったものだと思う。"バリタチ芸人"そのものだとさえ言える。
それでもわたしはこの浮気性の正体に気づいてはいなかったし、今のように輪郭を掴めてさえもいなかった。今ならわかることだが、これはいわゆる愛着障害や境界性人格障害のような精神的ディスオーダと、破滅願望ないし破滅的人格のあわせ技なのだろう。家庭環境がそこまで悪かったわけではないが、中学時代からわたしは浮気性だったし、年始に経験した見捨てられ不安とも中学生時分からの付き合いだ。というのも、Iちゃんとはまた異なる当時の交際相手Rちゃんと、見捨てられ不安や人格の破綻から刃傷沙汰を起こしているのだ。どう考えても人格に問題があるし、それを障害としていくぶん切り分けたとしても、この逸脱を矯正するには人格そのものの矯正が必要だ。あるいはこれから20年ほどかけて、彼氏とともに歩みながら、これまでの20年間をやり直す必要さえあるだろう。

わたしの人格は、ナルシシズムと才能主義、道徳逸脱傾向、無自覚なマキャベリズム、根無し草、あるいはそれらの裏返しとしての各種不安や破滅主義などを核にして形成されている。ナルシシズムに関しては『若者の浮世離れ』と題してわたしの人格を解体するこのシリーズでは頻出だから、あえてここでは触れない。

根無し草。これもまたいつか別の機会に書くことだけれど、わたしは17歳のころ、一年の半分を家出して過ごしていた。わたしに好意を寄せる男から金銭的援助を受け、日本全国のカプセルホテルやビジネスホテルを転々としていた。

それから、時間的拘束が嫌いだ。これはASD的あるいはADHD的気質かもしれないが、お風呂の時間、勉強の時間、◯◯の時間、という考え方が大嫌いだ。わたしは空間的にも時間的にも、自由でいたい。これ以上書くことないな。

破滅願望。高校時代に不登校を経験し、そのまま転落し続けてここにいるのだから、いっそ落ちるところまで落ち、すべてを失いたいという観念がある。
わたしにはいま交際相手がいて、わたしも彼も、自身の人格について少なくない不安と不満を抱えながらなお生きている。この前は彼氏を精神科に連れて行ったし、そういう意味ではメンヘラカップルでもある。彼はわたしにとってとてもとても大事だし、彼を失うのは恐ろしいが、だからこそ破滅が甘美に思える。いつか自殺する前にはきちんと破滅しておきたいな、というくらいの願望だけど、でも、破滅的な行動を前にすると、天秤がそちらに傾きやすいのを自覚している。どうしたものかな。

で、この破滅願望とうまくやっていくために、彼氏にも協力してもらって、生き方を変えたいな、と思っている。具体的な方策はわからないけど、だって、わたし、どうにか生き延びたいもの。
今回の一件のことを、いつか小説にでもしたためたいと考えている。Iちゃんとの素晴らしい夜を、そしてそれを引きずるわたしを書きたい。だって、Iちゃんはわたしとの夜を覚えていないでいてくれたんだ。わたしが引きずる夜も彼女には千夜の一夜でしかないというこの非対称性は、わたしには救いに思える。

そして、反復が嫌いだ。時間的拘束と同じくらい、反復が嫌いだった。
通学路が嫌いだ。見知った道、来た道、帰り道が嫌いだった。小学生の頃から通学にかけてもできるだけ違う道を歩こうとしていたし、それは今でも変わらない。
わたしの部屋から四条駅まで。わたしの部屋から五条駅まで。寺町京極まで。スーパーマーケットまで。できるだけ、できるだけ違う道を、通ったことのない道をわたしは通ろうとする。家出などするよりも前から、わたしは根無し草だったし、放浪主義者だった。時に刹那的な行動を好むことにも繋がったけど、それはただ日常を打破したいという根源的な欲求によってのことだった。日常生活こそ、反復の温床であり、いつか来た道の根城だった。

鬱症状が悪化するまでも、わたしは日常を嫌い生活を嫌っていた。(単にASD的エピソードに過ぎないかもしれないけど)入浴する決心をつけるため3時間ほど思いを巡らせる必要があったり、風呂から出ても服を着ず髪を乾かさず、およそ生活から逸脱した生活を送っていた。小学生時分からそうなのでもう仕方ない。
それが中学で病み高校でドロップアウトし、何をするにも時間がかかるようになってからというもの、私はしばしば人の形を失うようになった。頼みの綱の生理的欲求すら無視し、生活を嫌い反復を嫌う。親に言われたからと無理やり生活を履行して生きていたので、その頃一人暮らししていたらと思うと恐ろしい。

日常生活を嫌っているというのは、命に嫌われているようなものだ。そひかじゃないがね。
なので、できるだけ反復を尊ぶことにした。儀式的反復や機械的反復は好まないが、生活を好むためには反復を尊ぶべき、と考える。なにより、そう考えるのが自然だ。(ちなみに都合のいいことに、わたしが好むsignalwaveというジャンルの音楽は反復の美学だったりする)

かなり雑多な文章になってしまったけど、ご容赦願いたい。なにしろわたしは、今、この文章を書くことで、人格を解剖し、よりよい落とし所を探し、うまくやっていく方法を探しているのだから。
とにかく、浮気と浮気の背景にあるであろう事柄について、輪郭だけでも掴めてきた気がする。こうして文章にすることがきっと大事で、いや、わたしはこのプロセス抜きでは生きていけないんだとすら思う。もちろん、今後も人格や浮気性についての認識はアップグレードしていかなければならない。それはわたしやわたしと彼氏との関係のためだけでなく、もっと突飛なことにも役に立つだろうと感じている。
だからこうして一度書きたかったんだ。というわけで、2021年、こんな感じで、生きていきたい。

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