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なにか書きつける III

今月は珍しく満月が二度訪れた。一度は中秋の名月というやつで、それからいま一度、世間ではハロウィンとか呼ばれているただの月末にやってきた。
月夜の明るさは、満月の日といえど日中の36万分の一だという。それでも、むなしく頼りないものだとは感じない。現代人は街明かりや街路灯に甘やかされてしまうけれど、人工の明かりに乏しい時代、夜半の徘徊を嗜むこうしたひとときなどは、月明かりがさぞ頼もしい道案内役となったことだろう。

月。
地球のほかに人類が降り立ったことのある、唯一の天体。
私のような夜行性人類の一番の友であり、私のような夢想的人類の憧れの的。

月は遠い。淮南子によれば、往古来今これを宙といい四方上下これを宇というらしいが、この宇宙とか名付けられた時間的空間的広がりのほとんどはがらんどうだ。空っぽだ。どこまでもどこまでもただ無だけが粛々と連続し、我々の棲む宇宙というのはそもそもが虚無に属するものなのだと実感させてくる。
その、なにもない続きの茫漠な原野にぽつんと浮かぶ、地球の兄弟星。ジャイアント・インパクトによって地球と血肉を別った月は、いまもなお地球と惹かれ合い、つつがなく角運動量を保存して、舞踏会を続けている。
遥か38万キロ先の月面で反射された太陽光は、自転と公転とが織りなすダンスのあまりの遠大さに、1.3秒ほど掛かってわれわれ地球人へ届く。そのときある地球人は思うのだ――
――我々はなんと矮小なんだろう、と。

それでも人類は一度は、いや何度も月面に辿り着いた。そう、考えてもみてくれよ。人類は月にさえ降り立ったんだ。
それはそれは輝かしい宇宙開発の歴史のうちに、ひときわ輝く探査計画がある。1960年代に人類を月へと送る――、そんな冗談のような話から(というのもこの演説はガガーリンの成功からたった1ヶ月しか経っていない頃のものなのだ)始まったアポロ計画は、全6回の有人月面着陸に成功し、人類が一層宇宙への理解を深めるための多大な知見と栄光を残した。

今日は些か感傷気味だね。でもね、でも考えてみてほしいんだ。
きみが月を見上げるとき、そこには人類の足跡がある。それって素晴らしいことじゃないか?

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