昭和セピア色のこんなハナシep14.「やっぱり楽しかったプールの思い出」の巻。
パッと脱いじゃえ!
夏になればプールの授業が始まる。
あれは確か、3年生だったと思う。
着替えは教室で男女共、一緒に着替えていた。
今では考えられないと思うが、当時は普通のことだった。
それぞれ体にタオルを巻いて、下着のパンツを脱ぎ、
そして水泳パンツを穿く。
男子はパンツだけで簡単だが、女子は着替えるのにも手間がかかる。
着替える時間がかかるとその分、水泳の時間が足りなくなるわけで、
いつものように、もちゃもちゃ手こずってる様子から、
担任のH・TOSHIO先生が、
正確には覚えていないのだが、「いちいち隠してないでパッと脱いじゃえ!」
みたいな、そのようなことを皆に向かって言い放った。
その時、さっちゃんという痩せて小柄な女の子が、パッと全部を脱ぎ捨て、すっぽんぽんになった!
そう、素っ裸だ。
すぐさま笑い声につつまれ、一同、みんな満面の笑顔だった。
さっちゃんは、きっと恥ずかしかったに違いない。
でも、男子も何人かが続いてすっぽんぽんに・・。
都会では殆どの家庭に風呂は無く銭湯が当たり前、誰しも裸文化には慣れていた時代だった。
深い場所で突き落とされる
何度目かのプールの日。
自由時間では、上級生は深い方で泳いだりしていた。
「僕も泳げるようになりたいな」・・、多分そんな気持ちで上級生たちの楽しそうな戯れを見ていた。
突然、誰かに突き落とされてしまったのだ。
勿論、立てる深さではない。足が届かず水の中を必死でもがいていた。
少し浮き上がったけれど、ごちゃごちゃ込み合っていたのか、常に誰かが上にいて水面に顔を出せないでいた。
もう苦しくて苦しくて、もがきながらようやく水面から顔を出すことができた。
それから両脚を交互に蹴るように、両腕は水をかき分けるようにプールの縁(へり)に向かっていた。
やっと縁にたどり着いたけれども、長い長い時間と思えるほどだった。
ワ~イッ!泳げるようになった!
なぜかあの出来事で、今風に言えば「トラウマ」?
もうプールなんかイヤだっ!
とはならなかった。
自分でも不思議に思う。
そして、自ら飛び込んで両脚を交互に蹴ってみたり、両腕で水を同時にかきわけてみたり、いろいろ工夫しながら「平泳ぎ」の真似ごとができるようになった。
不格好でも、それなりに泳げるようになって何だか自信がついた。
夏休みのプール開放日
夏休み期間中、プール解放日が設けられていた。
ほとんどの先生は居ないけれど、数人の先生が交代で登校していたと思う。
誰も居ない教室で着替えてプールに向かう。
同級生は居なかったけれど、他のクラスや上級生など、十数人が既に遊んでいた。
監視役の先生は勿論いたはずだが、あまり記憶には残っていない。
僕は一生懸命「平泳ぎ」を練習した。
うろ覚えではあるが縦25m、横8メートルだったような気もする。
ちなみに現在の標準は25m×12.5mが多く採用されているそうだ。
そしてついに、横幅は途中で立たずに泳ぎ切ることができるようになった。
僕はすごく嬉しかった。
お母さんに自慢したかった。
解放時間はあっという間におしまい。
帰り際、下駄箱に仕舞ったはずの靴が無い。
買ってもらって間もない靴が無いッ!
盗まれたのかなぁ?
お母さんに叱られる?
お母さんにせっかく買ってもらったのに、
悲しませる?
色んな気持ちが入り混じって・・。
僕は悲しくなって半べそをかきながら、職員室に向かった。
あっ!H・TOSHIO先生が居た!
今日はH・TOSHIO先生が当直だったんだ、と駆け寄って訳を話した。
先生は下駄箱のところに着いてきてくれて、
今にも泣き出しそうな僕に
「男のくせに泣くな!」と一緒に探してくれた。
「何処に入れたんだ?」
この辺、と指をさし、応える。
辺りを探しつつ「コレは?」と先生が言う。
あっ!
これですっ!
「何だ、仕舞った場所間違えたんじゃないのか」と。
僕は靴を仕舞った場所を間違えていたのだった。
はははっ!と先生に笑われてしまった。
心の中では、買ってもらったばかりの靴を失くして、お母さんを悲しませるのではないかと思い詰めていたのかも知れなかった。
見つかって本当にホッとした。
お母さんには、そのことは黙っていた。
でも、泳げるようになったことは褒めてもらって嬉しかった。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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