昭和セピア色のこんなハナシ ep02.「活動弁士と夏の夜の無声映画会、そして幻灯機」の巻。
鞍馬天狗と言えばアラカンこと嵐寛寿郎
小学校入学前だったのか、1年生位だったのか、ともかく幼かった頃のことなので、少々あいまいな記憶でしかないけれど、小学校の校庭で映画会が催されたことは確かに覚えている。
知る由もないことではあるけれど、戦後の復興からいち早く小学校が建てられたのだろうと思う。地域の娯楽には度々、小学校の校庭が利用されていたようだ。
ある夏の夜、夕食を済ませてとうさんに連れて来てもらった。それは予告されていた映画会だ。校舎の壁に白い大きな幕が張ってあった。ゴザを敷いて待つ家族連れなど、校庭にはすでに近隣から大勢の人々が集まっていた。
そしていよいよ始まろうとする直前、オジサンが演台に現れ、何やらしゃべり始めた。映画のはじまりはじまりってことなんだけど、映し出されるのは言うまでもなくモノクロだ。オジサンは画像を視ながら解説を挟む。
登場人物が現れるや、役者のセリフは演台のオジサンが代弁するという、何んとも不思議な雰囲気ではあったのだが、幼くてもそれなりに理解していたのだろうと思う。
子供だったから役者の名前など知らずとも、「鞍馬天狗」はチャンバラごっこの定番だ。後に知ることになる、彼こそがアラカンこと嵐寛寿郎だったのだ。
無声映画には活動弁士あってこそ
そう、その映画は無声映画だ。あのオジサンは誰なのと、とうさんに訊ねると「あれは活動弁士と言うんだよ」と、初めて聞く言葉を教えてくれた。活動とは活動写真のこと、現代では動画ということになる。
巷にはまだまだ無声映画が上映されていたようで、それぞれの映画館には活動弁士(略してカツベン)の活躍の場があったそうだ。
やがて無声映画は音声が付くようになり別名トーキーと呼ばれるようになったとか。映画の歴史はともかく。
グリコの応募券を集めて幻灯機をゲット
あれは確か、グリコだったと思う。二つ上の兄と一緒に、ときどき買ってくれたおやつでいわゆる応募券を集めていたのだ。そしていよいよ点数が満たされ応募、景品の幻灯機が我が家に届いた。
兄と共に大喜びしたものだ。ところが、さて、何を写せばいいのか悩むところだった。近所の駄菓子屋に幻灯機用のフィルムが売っていたような気もするし、どこで売っていたのか定かではない。とにかく家のお手伝いをしながらお小遣いを貯め、どうにかこうにかフィルムを手に入れたようだ。
幻灯機の光源は裸電球だ。本体はかなり熱くなる。そして我が家で幻灯機による上映会だ。壁に白い紙を貼って映し出す。フィルムのリールを手動でくるくる回すと活動写真となってあたかも映画のように。
夕食後の家族団らん、結構、楽しかったなぁ。でも、それもつかの間、やがて何度も何度も使いまわしていくうちに、裸電球の熱で無残にもフィルムはヨレヨレに変形してしまったのだ。子供心にきっと悲しかったのかも知れない。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。