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【アニメてにをは~『耳をすませば』前夜祭その2】
筋やテーマ、あるいはキャラクターの気持ちを、あえて無視した時に見えてくる『アニメ固有の表現』があります。
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その表現に注目するのが『アニメの・てにをは』です。
今回は今夜9時から放映の金曜ロードショー『耳をすませば』の序盤だけ分析します。
【00】こんばんは。
昨日の『てにをは~前夜祭』は、時間がなかったのでやっつけ仕事でやってしまいました。
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一夜明けると不全感と後悔がおそってきて。
ということで、仕事を少しさぼって、序盤だけ本気出して『てにをは』作業してみますね。
【01】これは雫家の食卓ですね。
![](https://assets.st-note.com/img/1661497911900-Bu24BpLuey.png?width=1200)
宮崎駿演出と違い、今回は近藤喜文演出ということで、こういう部屋の全景を見せたとき『物体のセル画化』はおさえめな印象ですね。
率直なことを言えば、近藤喜文さんは初演出ということで『セルと背景のバランス感』がまだつかめていなかったのではないかという感じがします。
【02】ここに三つ掲げたシーン(画像は合計四つですが)は共通の撮影技術を使っています。
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つまり、フィルムを二重に撮影することで得られる「二重露光」です。
親友・夕子の頬が赤くなるのも、ガードレールが光っているのも、窓に景色が半透明に映っているのも皆「二重露光」を使っています。
「二重露光」のくわしい説明は今回は勘弁してもらって(趣旨の違う作業になってしまうので)ウィキペディアなどを参照してください。
【03】ここは珍しいタイプの「3層構造」ですね。
『左の空間』からバッグを放り投げ、空中で一旦カメラから消えたあと、フェンスという『中間/境界』を越えて、『右の空間』にバッグが降ってくる。
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![](https://assets.st-note.com/img/1661498149012-ciSWVL5G7t.png?width=1200)
仕組みもですが、アクションとしても面白いですね。
このように「3層構造」をつくって運動を立体的に見せるのが宮崎駿さんは得意です。この『耳をすませば』では脚本・絵コンテは宮崎さんが担っています。
ここは素朴な疑問として、ご自分では意識していなかったろう「3層構造」をつくる癖を、宮崎さんは他のひとが演出する作品にまで描き込んでしまったことです。
自分が意識していない技法=「3層構造」を、意識しないまま絵コンテに描き込んで、近藤さんに演出させる。
果たして近藤さんはこのシーンの演出にどう臨んでいたのか?
何というか、無意識と無自覚の伝言ゲームといった感じがします。
でもアニメにせよ実写にせよ、他のひとが書いたシナリオや絵コンテで別人物が演出することは当たり前。
そう考えると脚本(絵コンテ)と演出とがクロスして実現する作品には『無限の解答』があるはず。
わたしが今回『耳をすませば』の『てにをは』をするのに躊躇があるのはそこで、実現した作品を前にして何が『妥当な解』なのか、自分のなかで解決していないままにこの作品の『てにをは』をやっていることは隠すつもりはありません。
【04】この、姉に急かされてちゃちゃっとご飯を食べて出かけるくだりが、動きの質感として不思議なんですよね。
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![](https://assets.st-note.com/img/1661498284895-H75kcHaA9S.png?width=1200)
通常の3コマに1枚の絵が刻まれた『リミテッドアニメ』の感じには見えない箇所がありつつ、かと言って、ずっと2コマ進行(フルアニメ)だとしても解せない部分がありますね。
そんなことは日本の商業アニメでは滅多にしないことだとは思いつつも、3コマ進行と2コマ進行が混ざっている動きに見えてしまうんですね。
宿題ですね。
【05】さて、この電車内は、何がセルで何が背景でしょう?
そんなこと意識してアニメの画面を見たことはありますか?
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雫視点の車内は、人物と吊り革はセル画ですね。その他は背景画らしい。
一方、奥の車両は全部背景、人物も背景で描かれている。
車窓の外を流れる家々はセルですね。
それでいて動いている本編を観ると、二つの車両は違うタイミングで揺れています。どんな仕組みなのでしょう?
わたしも正解を言えないのですが、奥の車両の連結部・外壁がセルなのが注意を惹きます。どうやらここにヒントが隠されているような気がします。
わたしも元ジブリスタッフとは言え、何から何までお見通しというわけにはいきません。
いろいろと宿題は残ります。ご勘弁ください。
【06】背景で描かれた信号が青に変わりました。
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これは赤と青の電球部分(と笠の部分)だけセルロイド上に別に描いて(ブックといいます)、撮影の段階で処理します。だからこれも二重露光を使っていますね。
【07】これも『手前・中間・奥』と空間を3層にわけて、運動にメリハリをつける『3層構造』。宮崎さんの(本人は気づいていないだろう)得意技です。
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![](https://assets.st-note.com/img/1661498692817-ZT9SAYLVEb.png?width=1200)
立ち入り禁止のロープ【中間】をくぐって、【手前の空間】から【奥の空間】へ移動していますね。
こういうこと、絵コンテを描いた宮崎さんはどこまで意識していたのでしょう?
一方、演出の近藤喜文さんもわかった上でやってたのかなあ?
【08】地球屋に入ろうとする雫。姿が現れるまえに、ドアに姿が映っていますね。丁寧な表現。
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ガラスに映って半透明に透けているのも「二重露光」。
業界用語では「ダブラシ」と言います。
【09】手前に観葉植物や花瓶がありますが、ピントがあっていませんね。これは撮影に苦労を強いる「マルチプレーン」という処理。
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アナログ時代、アニメの撮影は平台の上にセルや背景を置いて撮影しました。カメラは頭上高く、下の台をのぞき込むように設置されています。
通常は作業する平台一台で済ませているのですが、ときにこのカットのように、画面内の手前と奥でピントをずらすために(で、このカットは手前をピンボケさせているのですが)、カメラから平台までの間に何層かの空中平台を設置して、つまり各段がカメラとの距離が違うことを利用して、こういった奥行き感を出す特殊効果をつくっていたわけです。
私のつたない図ですが、参考にどうぞ。
![](https://assets.st-note.com/img/1661498959746-t3R6st4O35.jpg?width=1200)
これを『マルチプレーン』と言います。
マルチプレーン!
アニメ関係者からすると、この言葉は贅沢な響きがします。
しかしデジタルアニメの現在、ピントの移動などたやすい作業でしょう。
マルチプレーンという言葉の輝きはいまどうなっているでしょうか?
【10】雫の姿が、バロンの背後の鏡に映っていますね。
![](https://assets.st-note.com/img/1661499050921-fJsOrmG3wx.png?width=1200)
鏡の手前には花瓶に生けられた植物がかぶっていますね。
奥の空間に鏡という『背景画で描かれた物体』があり、その鏡の枠の中に『雫という人物のセル画が存在し、動いている。
さらにその手前には生けられた植物がセル画と干渉しあっていて、猫の人形バロンが立つテーブルが正面に据えられている。
あえてくだくだしく書いてみたのは、何気ない画面に実は、アナログセルアニメには『面倒くさいなあ!』と言いたくなる画面設計がほどこされていることを感じ取ってほしかったからです。
このケースの場合、「ああ、面倒くさいなあ!」と言ったのは撮影部門のスタッフでしょうね。
しかし、ヒロインにとって決定的な出会いをつくることになるこの『地球屋』という空間を、いかに魅力的につくるかが勝負所である、まさに『ここぞ』という場面なので、表現にも凝っているのだと思います。
【11】思わぬ場所を見つけてご機嫌で帰途に就く雫。一瞬ですが、こんなアクロバティックな動きを見せてくれます。
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この作画、遊んでいるな!
と思わせる、少々やり過ぎ感もある動き。
本編で見ると、ごくさらっと過ぎてしまうアクションなのですけれどね。
【12】雫の高揚した気分を表現すべく、空間をダイナミックに使ってますね。
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![](https://assets.st-note.com/img/1661499373512-f0g84COqt2.png?width=1200)
手すりや階段を『背景動画』にして、周りの景色も何層かに重ねて立体感を強調しています。
この階段をくだるカットも、奥行きがあるのですが、ピンボケなどの効果は使っていません。通常通り、背景とセルとを順番に重ねて、ひとコマひとコマ撮影したんですね。
ただし、背景画が何枚も重ねられて、一コマごと位置をずらすことで、動画として観たとき立体的な空間性を得ているわけです。
じゃあ、またさっきの『マルチプレーン』を使っているかと言われると、今回は使っていません。
単に通常の平台の上にいくつもの背景とセルを重ねて撮るので、これを名称『密着マルチ』と呼ばれています。
さきほどのように素材同士を空中に設置された台に置いて、素材(背景なり・セルなり)の距離感をつくることは、しない。
素材同士をひとつの平台(撮影台)に密着させて、複数の素材をマルチに使う。ということで密着マルチというのでした。
【終わり】さて、こんな風に序盤だけ追ってみても、だんだんと甘酸っぱいドラマが展開されてきましたので、『耳をすませば』の『てにをは』はここまでにします。
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青春時代のナイーブな心をくすぐる、ロマンティックな作品なので、わたしのように技法に偏らせて見てしまって、いいのか?という疑念がまだあります。
わたしひとりで、そう『てにをは』的に観るのはいいのですが、第三者にそれを伝えてはかえって楽しめないのじゃないのかという迷いは、いまもあります。
でも何年後かには、また再放送されるでしょう。
そのときまでには、この繊細な作品との出会い方を模索しておこうと思います。
ご清聴ありがとうございました。