魔女の宅急便@ほぼ全画面分析~その9
ストーリーやテーマのことはつぶやきません。
ただアニメの「表現」だけに注目します。
そういう方針での『魔女の宅急便』のほぼ全画面分析、その9になります。
前回の分はこちら
【187】この低空飛行が素晴らしいですね。
重力の作用と、飛翔力の反作用の拮抗具合がめざましい、宙空状態をつくりだしています。
【188】玄関ドアがセル画(開く設定なので)なのですが、背景画と馴染んでいますね。
いままで追って読んでくださった方なら、そろそろ、こういうセル画/背景画の処理も気になってきませんか?
【189】廊下を歩くキキと下女のバーサ。キキの『手前』を彫像がさえぎっています。
空間が「3層構造」を形成しています。
【奥~廊下の向こう】
【中間~キキとバーサ】
【手前~彫像】。
こんな彫像なくてもいいのに、《空間の立体性》にこだわる宮崎さんらしい細工です。
【190】これも【奥】【中間=廊下】【手前=暗がりの部屋】の「3層構造」の空間を形作っています。
それぞれの人物がドアの隅なり、椅子の影なりに『重なって』いることによって、『層として重なって/空間を作っている・浮き彫りにしている』ことが強調されています。
【191】空間の【明るさと暗さ】・【広さと狭さ】のダイナミズム。
ここはアニメだからというより、映画として『空間演出の巧みさ』が際立っているところですね。
【192】ジジがただ床を四つ足で歩いてるだけなのですが……
『床と足裏』とが『セルと背景が接し合う《地点》としてある』という観点で見ると、見事に床の遠近感と、歩く動作の傾斜とがぴったり合致しているので、改めてその精巧さに驚かされます。
【193】人物以外でどんなモノがセル画で処理されているかも注意して見てみましょう。
そのどれもが、実は背景画で処理されてもいいのですが、セルで描かれた物体を適所に配剤することで、空間が生き生きしてきますね。
なぜ「物体のセル画処理」が背景を活性化するのか、それも今後の考察材料です。
【194】絵描きのかたもご覧になっていると思いますが、この背景画のテーブルの模様といい、床のタイルの模様といい、ここまで描くの?という感じではないですか?
こういう微細な模様を描く際にあたって、プロの方はどんな心境になるのでしょうか。
鍋つかみがセルでシンプルに処理されていて、なぜかホッとします。
【195】電子レンジが壊れてパイが焼けない局面でオーブンを使うことを提案するキキ。
薪小屋へ向かうこの瞬間は、『トトロ』の裏木戸へ向かう瞬間と似ているように思います。
でもこういう《トポロジー(場所に関わる学問)》はわたしは得意ではなく、恣意的な指摘にすぎませんが。
【196】薪小屋のなか。薪がセルで表現されていますね。ここは動く薪だけセルにして、あとは背景画にしてもよかったはず。個人的には薪の切れ込みの跡の描きこみが、ややラフな気がして、それもまた味わいがあります。
【197】両手がふさがっているので背中で戸をしめた反動でひとつの薪が落ちて、拾おうとしてかなわず足蹴にして急ぐ。
こういう『芝居』は作画打ち合わせでどれくらい具体化されるんでしょうね。絵コンテが手元に欲しい。
【198】オーブンに火をつける。
薪の描きこみはこちらは丁寧ですね。
煙は(一部)透明に透けて見えて『二重露光』(ダブラシ)という撮影上の処理。
わたしもちゃんと勉強しなおして、ダブラシなどの撮影処理の「てにをは」を基礎講座としてやれたらいいですね。
【199】背景画の煙突と、そこから吹き出すセル画(で半透明な・ダブラシの)煙。
《セル画と背景画が協力しあって表現を実現する姿》がここにもあります。
無機物の表現であっても、セルと背景はそれぞれ別のスタッフ(アニメーターと背景美術)の手で描かれることによって《協力しあい、表現として》成立するのです。
【200】炎の表現。他のアニメだったら『エフェクト』として存分に暴れれてそうな炎が、ここではむしろ『抑制』された表現になっているのが印象的です。
『ハウル』のカルシファーも『(ほぼ全編)抑制された炎』として演じてましたね。
【201】置時計の造形といい、絨毯の表現といい、肖像画といい。
こういうこだわりを作品の隅々まで行き渡らせるために、宮崎さんというひとは『スタジオの暴君』にならざるを得なかったのですね。
【202】このランプに突っ込んだ手。
これは全部セルで、色分けだけで表現されていますかね?
一部に空気ブラシをつかってぼやかしをつけているような……
こういう作画上の処理は宮崎さんの発案か作画マンの創意なのか。
【203】切り出した画面を右から見ていくと……
キキの顔、ランプの外角の色トレース、ランプの縁の厚みを示す薄い桃色の帯、ランプの色に透けたキキの額と髪の毛。
ランプの中に入れた手が暗く沈んだ紫色で、その手首の端を同色色トレースで馴染ませて。
ランプの外へ開くふちの輪郭とその色トレース。
こんな表現で伝わりますかね?
【204】ニシンのパイ、焼きたて(と焼く前の姿も)。
これも『全セル』(全部セル画だけで表現)ですね。凝ってる。
いまふと思いついたのですが、こういう世間で言う「ジブリ飯」の『食欲がそそるような表現』って、その内実は、「セル画で表現されることで、料理に異化作用が働く。
もっと言ってしまえば、表現として(背景美術よりも)劣化された・単純化された表現になることで、逆に魅力が湧く。
(料理に限らず)物体をセルで表現することは、画面のなかにあって存在が活性化される。なぜならセルアニメ内世界は【セル画・背景美術・撮影光学処理・特殊効果】でなりたっていて、『生命力を担う』のはセル画だからなのではないか?
いまそんなことを思いついたので、仮説ですが、書き留めておきます。
【205】突然の雨。注目はキキの全身から弾き飛ぶ雨粒の作画表現。そして雨に衣服が濡れている様は『ハイライト』(輝きの表現)。顔を雨筋がしたたり落ちいます。
キキの全身に沿ってボカシが入っていますね。撮影での光学処理か、それともブラシでしょうか?ちょっと、これだけではわからないです。
【206】アナログ・セルの時代、こういう降っている雨はセルにカッターを走らせて筋をつけたものを何枚か用意して撮影してもらうのだと当時聞きました。セルにカッターを入れるのは、演出助手か制作進行の仕事だったとか。
【207】雨宿りしてキキの帰りを待つトンボ。
ショーウィンドウのなかのジャム詰めやパンがセル画で処理されて表現にやわらかさ・親しみが生まれています。
これらのパンがセルで表現されることで気持ちがホッとする効果は何なんでしょうね?
こういう表現をするために、庇だけ別ブックにする手間までかけている。
【208】お届け物のパーティ会場に着くキキ。
ここでも『自動車だけは全部セル画で表現』されているんですよね。
効率的にするか、手間をかけるか、とか関係ないんでしょうね。
画面の統一感なりバランスのうえでどう納得するかという、演出家が持つ『あくまで美学的な』配慮だと思うのですね。
これだけで論文の材料になりそうだなあ。
【209】ワンピースのなかにニシンのパイを隠して参上するキキ。
本編を通して見ていると不自然には思えませんが、かなり滑稽な姿ですよね。
キキの鈍くささって特に『腰まわり』で印象付けられているような気がします。
【210】こういうのは『野暮な解説』に過ぎませんが、ここで店外に出て様子を見に来るのが、オソノさんじゃなくて旦那さんってとこがミソですよね。
『男同士の張り合い』が生まれて、トンボはつい見切りをつけてしまう。
さて、ここいらで「その9」を終わりにします。
「その10」でまたお会いしましょう。
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