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他人の街

都市にいると、ふとこんな気分に囚われることはありませんか。

自分が見知らぬ他人になった気がする

葉菜(Bana)「Shell」より

自分のまわりから人がいつの間にかいなくなり、自分一人になってしまう感じ。
それにともなって、自分が誰なのか、何者なのか……アイデンティティが希薄になり、自分自身すらも見失って「他人になった気がする」ことはありませんか。

これが、時折この国の、この土地で起きる事件の根底にある「気分」であるような気がしてなりません。
そんな時、自分の「見放され感」を表現できる場があれば、一時しのぎのメッセージを送ることはできるかもしれません。

大切なものにいつか もしも気づいた時に
誰でもない自分に人は 出会えるのだろうか
まだ見ぬ明日に君は
打ち続ける孤独のシグナル

仲井戸麗市「孤独のシグナル」より

誰にも気付かれなくなってしまったと、そんな気分に陥るとき、何が私たちを正気に繋ぎ止めてくれるのでしょうか。

私が見ているものは、あなたが見ているもの。
あなたが見ているものは、私が見ているもの。

私のいる場所は、あなたがいる場所。
あなたがいる場所は、私のいる場所。

私がいる街は、縄張りは、居ついている場所は、あなたの居ついている場所。
あなたがいる街は、縄張りは、居ついている場所は、私が居ついている場所。

この事実に気付くことが、「私」と「あなた」の知覚を「共有」させてくれます。
そのとき初めて、「私」は「ここ」に居つくことができる。
そんな気がしてなりません。

私たちは、自分が居ついている場所から「他の誰か」を全て追い払ってしまっている……都市では特に……そんな気がしてなりません。

では、知覚が共有されるとしましょう。
その時何が起きるでしょうか。

たぶん、「しがらみ」が復活するのです。
「しがらみ」は、良くも悪くも知覚を「私」と「あなた」の居ついている場所を共通のものとしてくれるでしょう。その代わり、多少窮屈にもなるかも知れません。

「他人の街」から脱出し、「あなたがいる場所」に居つくためには、「しがらみ」を取り戻す作業が必要になる。

そんな気がしてなりません。

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佐分利敏晴
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