杜野凛世は光である
ゲーム「アイドルマスター スターリットシーズン」をやっていると、運がよければ杜野凛世という女の子がこんなメッセージを送ってきてくれます。
杜野凛世がどういう人物なのかといいますと、普段から和装の、おしとやかで芯が強い、「放課後クライマックスガールズ」というアイドルグループで歌い踊っている女の子です。普段の様子とうたっているときの様子がかなり違うのでギャップに驚くかもしれません。
彼女がインスタントカメラで写真撮影をしてもらったときの感想がこれです。
すばらしいです。
インスタントカメラは、銀塩フィルムを「感光させる」ことで画像を写し取り、現像することで写真ができあがります。
ですから、インスタントカメラで撮影ができるということは、モデルである自分、杜野凛世は光である、という結論に結びつくわけです。
そうでなければ「杜野凛世」という身体を持った自分が、銀塩フィルムに映し出されるわけがありませんから。
同様に、私たちの身のまわりにあるすべてのものは光です。写真に写るということは、それらが光っていることを意味します。
わたしも光、あなたも光、その辺に転がっている石ころも光、春には満開の花を咲かせ、夏には葉を茂らせるソメイヨシノも光です。
わたしたちは光を乱反射している
ただし、わたしたちは「光源である」わけではありません。「光源」は太陽か、月か、星か、炎か、電球などの照明器具くらいしかありません。わたしたちはおのずから光っているのではありません。
ではなぜ、わたしもあなたも石ころも光なのでしょうか。
それは、わたしたちの表面が光をある程度反射しているからです。さらに言えば、わたしたちの表面はやってきた光を乱反射させています。
そして、その中の一部がカメラのレンズを通ってフィルムを感光させ、インスタントカメラでの撮影が可能になるのです。
かくして、杜野凛世が光である、ということがわかります。
この考え方を敷衍していくと、わたしたちが暮らしている環境は包囲光という光で満たされていること、それらが構造、配列を持っていること、その光の配列こそが私たちが知覚している情報であること、といった、生態心理学における重要な考え方、生態光学へとつながっていきます。
それらのお話はまた今度に。