TVアニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ U149」第11話 感想と解題①子どもの現実
まるで映画を見ているかのような二十数分でした。
TVアニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ U149」第11話の感想と解題です。今回は橘さん……ありす、と、プロデューサーの物語でした。
アニメーションであることを活かした映像 第1話と比較しながら
このお話は「ストイックな」演出になっていて、BGMが少なくリアルな効果音や役者(声優)の言葉や息遣いがよく聞こえる作品となっていました。これらのことについては多くの方が指摘されているとおりです。
その一方で、アニメーションならではの「自由な」作品でもありました。夢と現実、想像と現実など、「普通」なら明確な境界線が引かれると思われるものであっても垣根なく繋いであるなど、思い切った映像づくりになっていました。
「想い出」がよぎる場面ではシネカリ風のカラフルな描線で映像が作られており、動きや時間の遷移をさらに越えて行くような映像づくりも為されていました。
ここでいう「シネカリ」とは「シネ・カリグラフ」の略で、モノクロフィルムまたはカラーフィルムを真っ黒に現像し、できあがった上映用のフィルムそのものを金属の針などで引っ掻いて線画を作り、これをアニメーションの画材として作品を作る方法を指します。
モノクロフィルムで作れば白い線と黒い背景だけになりますが、カラーフィルムを力加減を変えながら引っ掻いて線を引くと、この作品で作られたような様々な色が付いた線でアニメーションを作ることができます。
第1話との対比と顕れた解釈
第1話との比較がこのお話では話題になっていますが、ここで第1話では謎だった2つの扉とそこに繋がれているリボンについて観ていきます。
第1話でも第11話でも、リボンは2本あります。第1話ではそのリボンが片方は小さな古めかしい扉に、もう片方は新しい大きな扉に結びつけられていました。
小さな扉の向こう側は、第11話で明らかになりますが、ある種の想像の中、あるいは夢の中へ入っていく扉でした。
これは原作“Alice's Adventures in Wonderland"「不思議の国のアリス」における“Wonderland"つまり「不思議の国」への扉と言えます。第11話ではありすはこの扉の向こう側へと流されていきました。
そしてもう一つのリボンが結びつけられた扉が何だったのかといえば、ドアノブのデザインを見ると、これはありすの寝室と廊下を隔てる扉、あるいはありすの家の廊下とリビングを隔てる扉かと思われます。
これは言わば、ありすと両親とを隔てる扉であり、あるいは、ありすにとっての「外(他人)=大人の世界」と「内(自分)=子どもの世界」を隔てている扉であるという描写にもとらえられます。
それから、ありすのアイドル活動に対する「お母さん」の発言について観てみますと、第1話ではこうありすに声をかけています。
この言葉、「親」としては「子ども」に自由を与えているようにも聞こえますが、その本質は「勉強しなさい」という意味を突きつけるもの、釘を刺す言葉と言えます。「お母さん」はそのことに気付いている様子はありません。
しかし、この台詞を受けて、第11話ではありすはこう言っています。
この、ありすの「お母さん」の言葉の解釈、間違っていると言えるでしょうか。ありすは少なくともそうは受けとめていないのです。
勉強しなさい、そうすればアイドル活動を許可します、という条件を付けてしまっている、という解釈は「親に支配されている子ども」としては間違っていないのではないでしょうか。
だから、ありすは恐れているのです。アイドルになりたいという「子供じみた夢」を持っているために、「お母さん」に嫌われてしまうかもしれない、捨てられるかもしれない、と。
「大人」代表の上司はこう言います。
しかし彼には、子どもの現実を分かっているわけではありません。体のいい逃げ口上でしかないのです。
子どもは、様々な現実を受けとめながら生きています。そういった子どもたちの現実をかろうじて知っているのがプロデューサーしかいない、というのがこの作品での「大人たち」の限界です。子どもたちのために泣く大人は彼しかいない……はずでした。
少なくとも、ありすの前で「大人げなく」夢を見て、「大人」と「子ども」について壁にぶつかり、悔し涙を流したプロデューサーがいること、彼の涙がありすを引き留めたことには違いないでしょう。
長くなりましたね。ここで一旦区切りといたしましょう。
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