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シン人類コラム「仮想現実の罠と認知バイアスが導く“現実逃避”の社会構造」

序章:仮想空間のバイアスと実社会の影響

現代社会において、SNSや仮想空間は個人の意識や行動に多大な影響を与えています。日本を含む多くの国で、仮想敵や仮想の正義を掲げる保守や革新が台頭し、対立を煽る構造が出来上がっています。しかし、それが本当に「正義」なのかは極めて曖昧です。仮想空間が生み出す認知バイアスは、個人のアイデンティティ不安を補うためのものであり、それが社会全体の硬直化や分断を助長しているのではないでしょうか。

第一章:仮想敵国と仮想民族という幻想

「仮想敵国」や「仮想民族」を創り上げ、「我こそ正義だ!」と主張する動きは、アイデンティティの欠如から来る不安の表れです。たとえば、国粋主義的な思想が国を守る大義名分として用いられる一方で、実際にはその背後に個人や集団の恐怖や不安が隠されています。ゴルバチョフのペレストロイカが進めたような柔軟な変化は、こうした硬直した思想にとって脅威であり、それを覆すために逆行的な動きが起こるのです。

プーチンの国粋主義やトランプ主義などはその典型例と言えます。これらのリーダーシップは、仮想的な「敵」を定義し、その敵対心を共有することで一時的な結束を生み出すものですが、長期的には分断と対立を深化させる要因となります。

第二章:仮想神仏とネット上のメシア像

ネット空間では、仮想の神仏やメシア像が作られ、救済や予言というテーマで人々を惹きつけています。人々がそこに魅力を感じるのは、現実世界での自分の不安や孤独を埋めるための手段として機能しているからです。こうした現象は認知バイアスによりさらに加速されます。特にSNSでは、エコーチェンバー現象(自分と同じ意見の人々が集まる状況)が強化され、虚構の信念が現実以上に影響力を持つことがあります。

第三章:認知バイアスがもたらす「硬直化」と「洗脳」

「賢い馬鹿」は、自分の知識や理論に囚われ、他者の感覚的な意見や直感を軽視します。一方で、「阿呆」と見られる自由な発想は、しばしば軽視されがちですが、その中にこそ新しい可能性が含まれている場合があります。

スパイや軍隊の例を考えると、自分が洗脳する側であるはずが、気づけばその洗脳のシステムに取り込まれているという皮肉な構図が見えてきます。特に国家規模での認知バイアスの硬直化は、戦争や社会の停滞を招く原因となります。まさに「大企業病」から「大国家病」への移行がこの現象を物語っています。

第四章:SNSと日本人の特性

日本人は、SNSの集団心理や空気に流されやすいと言われます。これは、長い歴史の中で培われた「和を重んじる文化」と「空気を読む」特性が、仮想空間において逆に弱点となっているからです。

仮想空間のエコーチェンバーにより、異質な意見を排除し、仮想の正義や敵を作り出すことが日常化しています。これにより個々のアイデンティティはさらに曖昧になり、不安を補うためにさらなる仮想の構築へと依存していく悪循環が生まれています。

第五章:新しいアイデンティティを築くために

この状況を打破するには、「個人のアイデンティティの確立」が重要です。他者に依存せず、自分自身の軸を持つこと。そして、その軸が柔軟であることが求められます。

SNSや仮想空間での活動が悪いのではなく、それに流されるままになることが問題です。内なる自分と向き合い、外部から与えられる情報や認知バイアスに惑わされない「冷静さ」を持つことが、仮想現実からの脱却に繋がるでしょう。

結語:西と東の相撲のバランスをとる社会へ

結局のところ、私たちに必要なのは「西と東の相撲」のようなバランス感覚です。理屈と感覚、個と集団、現実と仮想の間で絶妙な調和を見つけること。SNSや仮想空間がさらに発展する中で、私たちは新しいバランスを模索し続けるべき時代に突入しています。

硬直化したバイアスを乗り越え、柔軟なバイブスで社会を動かすことができれば、私たちはより豊かな未来を築けるはずです。「我こそ正義だ!」と叫ぶ声ではなく、「共に生きる知恵」を模索する静かな対話が必要なのではないでしょうか。

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