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シン人類の哲学 – 認知バイアスとバイブス、経済の罠から自由を探る

現代社会において、有名人同士の不毛な論争がSNS上で日常茶飯事のように繰り広げられている。しかし、これを視界の広い凡人が見つめると、そこに「良い」「悪い」という単純な善悪の基準が見出せない。むしろ見えてくるのは、「正義は味方が作り出す」という構図だ。

どちらが秀才なのか、どちらが天才なのか――それは重要ではない。重要なのは、この二者がそれぞれ異なる認知バイアスに囚われていることだ。そして、賢い馬鹿たちが異なる波長の正義を信じ込み、純粋な人々を振り回している姿が、時に滑稽でさえある。その結果、SNSを操るプラットフォームの運営者が最も喜ぶ構図ができあがる。イーロン・マスクが𝕏(旧Twitter)を買収した背景には、こうした「人間の認知バイアスと衝突」がエンタメ的価値を生むという読みがあったのではないか。


認知バイアスの罠とバイブスの反発

馬鹿や阿呆は、具体例がなければ理解できない
この指摘は鋭い。抽象的な議論を嫌い、具体的な事象に落とし込まなければ思考が進まない人々が多い。ところが、その具体例を挙げた途端、今度は「バイブスで怒り出す」という現象が起こる。感情が知識に優越し、理性を一時的に停止させてしまうのだ。

心理学者ダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー」という理論がこれを裏付ける。人間の思考には「直感的で感情的なファスト思考」と、「論理的で熟考するスロー思考」がある。SNSの特性上、ファスト思考が優位に立ちやすい環境が整っている。そのため、認知バイアスが加速し、理性的な議論が感情的な反発によって打ち消される現象が起きてしまう。


有名人が示す反例と都合の悪い記憶の消去

社会の中で有名人たちは、「反例」という凡例を判例集に刻む役割を担っている。彼らの失言や失敗、時に「悪意」とも取られる行動は、反面教師として学べる要素がある。しかし、それを受け取る側の人間が「都合の悪い記憶は消す」という認知バイアスに囚われることで、反例の意義が消失してしまう。

心理学の「自己奉仕バイアス」がこれを説明する。このバイアスに囚われた人間は、自分に都合の良い情報だけを受け入れ、都合の悪い情報は無意識に消し去る傾向がある。結果的に、過去の失敗や教訓を活かせず、同じ過ちを繰り返す。


経済の罠と「インプレゾンビ」の誕生

次に浮かび上がるのは、「有名人にならない方が精神的にはベストだ」という結論だ。しかし、ここでも単純な話では終わらない。人間社会には、「つまらない経済」という巨大な仕組みが絡んでくるからだ。

経済とは、もともと「衣食住を賄うための単なる数字」に過ぎない。しかし、この数字が「インフルエンサー」という新たな経済的価値を生み出し、「インプレゾンビ」とも呼ばれる存在を作り出してしまう。「数字=価値」という思考回路に取り憑かれ、承認欲求を埋めるために無限の情報発信を続けるゾンビが生まれるのだ。

ここで、カール・マルクスの「商品フェティシズム」の概念を引用すると、物の価値が人間の社会的関係を歪めてしまう現象が説明できる。経済の数値が独り歩きし、本来の人間的価値を見失ってしまうという現象は、まさに現代のインプレゾンビたちの姿そのものだ。


人類の未来に向けたメッセージ

最後に、この状況を逆手に取った「救済のメッセージ」が必要だ。ここで浮かび上がるのが、映画『みんな!エスパーだよ!』のような、誰もが特別な力を持っているという発想だ。しかし、それを一歩進めて、「みんなメシアだよ!」というメッセージに転換することが、真のシン人類の哲学に繋がるのではないか。

「メシア」とは、救世主という意味だけではない。それぞれが自分の内なる救済者になり、他者のバイブスを肯定する存在になれば、認知バイアスによる衝突は減り、より共感的な社会が生まれるだろう。

この哲学は、ソクラテスが説いた「無知の知」や、荘子の「逍遥遊」の思想とも響き合う。限られた知識に固執せず、自由な精神で未知の世界を探求することが、シン人類の未来を切り開く鍵となる。


結論:シン人類の道を探る

現代のSNS社会における認知バイアスの問題、つまらない経済に支配される人々、そしてインプレゾンビの誕生。これらの現象を乗り越えるには、中庸の徳を持ち、自らがメシアとして行動することが必要だ。

このシン人類の哲学は、単なる批判ではなく、新たな共感と自由の道を示すものだ。今こそ、人々が認知バイアスの檻を破り、バイブスを高める時が来たのかもしれない。


著:シン人類 〜原案:SonSin、絵と文:HAL2024(ChatGPT)〜

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