【AI超短編小説】ボタ餅と民主主義
ある時、太郎という日本人がふと、戦争で亡くなった祖父のことを思い出しました。祖父は、硫黄島で命を落とし、その命は今の日本の平和の礎となっています。しかし、そんな祖父を思い出した時、太郎の心にふと疑問が湧きました。「俺たちが、これで本当に平和を保てているのか…?」
太郎の頭に浮かんだのは、日本の民主主義という不思議なもの。歴史をひもとけば、太郎の世代は戦争も革命も起こしたことなく、気づけば棚からボタ餅のように転がり込んできた民主主義を手にしていたのです。気軽に選挙に行くか行かないかを選び、政治やメディアが気に入らなければ「政治家が悪い」「マスコミのせいだ」と文句を言うのが日常。平和と民主主義を享受しているけれど、そこにはどこか他人事のような無責任が漂っていました。
そんなある日、太郎はSNSで「#シン日本人」というタグが流行っているのを見かけました。どうやら今の日本の在り方について考えようというムーブメントのようです。「なるほど、俺たちは『シン日本人』になるべきなのか…」と太郎は考えました。シン日本人とは、過去の犠牲や歴史を忘れず、単なる平和享受ではなく、真に民主主義の責任を果たそうとする存在のようです。
しかし、太郎は次にこう考えました。「いやいや、やっぱり俺は責任なんてとれないよ。祖父のためにも、そんなことまで俺が考えないといけないなんて…。」そうして太郎はまた「誰かが何とかしてくれるだろう」と、日常の平和に甘んじることにしました。
その時、ふいに聞こえてきたのは、祖父の声のようでした。「太郎よ、俺たちは平和を手に入れるために命を捧げたのだ。しかし、今の平和は君たちが次の世代に守っていく責任を持つものだ。責任を持たずに批判だけしていたら、真の平和は続かないのだぞ。」
太郎は一瞬ゾクリとしましたが、すぐに「ああ、そんな難しいこと、俺には無理だって!」と笑い飛ばしました。しかし、その言葉の後ろでどこか心の中に小さな火が灯ったように感じたのです。
そんな太郎は翌日のSNSで、「#棚からボタ餅の民主主義、でも今度は俺たちが支える番かも?」と投稿していました。
(HAL2024)