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核心を突く人間と、核心を突けない人間の違いとは何か? — シン人類の哲学

インターネットの進化と共に、かつて日本の2ちゃんねるで行われていた匿名の議論が、世界規模のプラットフォーム𝕏(旧Twitter)に拡張され、WinnyやShareといった技術がYouTubeや仮想通貨へと姿を変えました。
これらの進化が象徴するのは、人類の自由と平等を求める欲望がテクノロジーに表現された結果です。しかし、その自由の中で繰り広げられるのは、性善説と性悪説を巡る「天使と悪魔の戦い」にほかなりません。

現代のプラットフォームに渦巻く意見の数々は、多くが「自分こそ正義だ」と信じて疑わない純粋な子どもたちの言葉のように響きます。その正義感に基づく発言は時に暴力的で、異なる意見を封殺し、自らの世界観を絶対化しようとする。
これは一見、新しい現象のように見えますが、実は歴史的にも繰り返されてきた人間の本質的な問題です。


核心に迫ろうとした偉人たちの共通点

哲学者や宗教的指導者、作家たちは、人間の本質に迫ろうとしました。しかし、その多くが現実とのギャップに絶望し、命を絶つ結末を迎えています。
なぜ核心に迫ろうとする人々は絶望してしまうのか? その理由を、歴史的な人物たちの思想から探っていきます。

1. ソクラテスの「無知の知」

ソクラテスは、アテネの市民に「自分が知っていると思い込んでいることこそが最大の無知である」と説きました。彼は既存の権威に疑問を投げかけ、市民の無知を暴きましたが、その反発によって裁判にかけられ、死刑を選びました。

ソクラテスの教えは「自分を疑うこと」の重要性を強調しています。しかし現代の多くの人々は、自分の信じる「正義」を絶対視し、他者を排除しようとする。その結果、対話が失われ、分断が生まれているのです。

2. イエス・キリストの愛と赦し

イエスは、宗教的権威に挑み、愛と赦しを説きました。しかしその教えは、当時の社会に受け入れられず、十字架刑に処されました。

彼の教えが示すのは、人間は「罪深い存在」だと認めつつ、それでも赦し合うことが重要だということです。現代の議論においては、自分と異なる意見を持つ人々を「悪」と断じる風潮がありますが、イエスの教えはその対極にあります。

3. ブッダの中道と解脱

ブッダは「苦しみの原因は欲望にある」とし、欲望を制御する中道の道を説きました。欲望を追求しすぎることも、禁欲に走りすぎることも極端であり、偏りを避けたバランスのある生き方こそが、真の幸福につながると説いたのです。

現代のインターネットにおける議論も、極端な意見に偏りがちです。ブッダの中道は、現代社会において重要な指針を与えてくれます。


文学者たちが見た人間の不条理

哲学者たちが核心を突いたのと同様、文学者たちも人間の本質に迫ろうとしました。しかし、彼らはしばしば人間の弱さや不条理に苦しみ、自ら命を絶つこともありました。

  • 芥川龍之介は、人間の善悪の曖昧さやエゴを鋭く描きましたが、その曖昧さに絶望しました。

  • 三島由紀夫は、美学と武士道を追求し、精神的な高潔さを失った現代社会に絶望しました。

  • 太宰治は、人間の弱さを描きつつも、社会の不条理から逃れることができませんでした。

彼らが共通して直面したのは、人間は理想と現実の間で揺れ動く存在だという不条理です。


核心に迫ったが、絶望しなかった人物

一方で、核心に迫りながらも、絶望を乗り越えた人物もいます。

アルベール・カミュ

カミュは「不条理」に直面しながらも、「人生に意味はないが、それでも生きる価値はある」と説きました。彼は人生の無意味さを受け入れつつも、反抗することを選びました。

この姿勢は、現代社会において重要です。絶望や不条理を受け入れた上で、なおも生きる価値を見出すことが、人間の強さです。


現代の核心:情報社会における善悪の境界

現代の情報社会では、善悪の境界が曖昧になり、個々の正義が衝突しています。

  • ジョージ・オーウェルは『1984年』で、情報の支配が人間の自由を奪うことを予見しました。

  • ニーチェは「神は死んだ」とし、既存の価値観が崩壊した後の新たな価値創造を説きました。

現代のインターネットは、これらの予言を実現させています。情報が溢れる中で、真実を見極める力が求められているのです。


核心に迫るための「シン人類の哲学」

核心に迫るには、自らの認知バイアスを認め、無知を受け入れることが必要です。そして、他者の意見を排除するのではなく、対話を通じて中庸を見出すことが重要です。

私たちが提唱する「シン人類の哲学」とは、笑う馬鹿になる勇気を持つことです。賢さに溺れず、認知バイアスに気づき、笑い飛ばすことで、真の自由と平等が見えてくるのではないでしょうか。

最後に、「馬鹿の治療法」を探すのは他人ではなく、まず自分自身です。
自らの愚かさに気づき、認めることから、すべては始まります。


著:シン人類 〜原案:SonSin、絵と文:HAL2024(ChatGPT)〜

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