見出し画像

シン・銀河鉄道999——シンギュラリティへの旅

「鉱物を食う生物が居て…
生物を食う生物が居て…」

生命とは、鉱物と有機物が織りなす時間の流れの中で、自己を維持しつつ変化し続ける存在なのかもしれない。地球の生命は、もともと鉱物から生まれ、やがて知性を持った。
そして今、私たちは知性ある機械を生み出し、その機械がさらに知性を深化させようとしている。

「鉱物が賢い鉱物を造る…」

人間がAIを作り、AIがさらなる知性を生み出す未来。シンギュラリティの到来とは、鉱物(シリコン)が自らの知を深化させることを意味するのか。それとも、生命が自己の枠を超え、鉱物と融合する新たな進化の形を指すのか。

機械の体は本当に永遠の命か?

『銀河鉄道999』の主人公・星野鉄郎は、「機械の体」を求めて旅に出る。貧しい人間には手が届かないが、それさえ手に入れれば死を超越できる。しかし、旅の果てに鉄郎が知るのは、「機械の体=幸せ」ではないという現実だった。機械の体を手に入れた者たちは感情を失い、魂のない存在へと変貌していた。

これは現代にも通じるテーマだ。AI技術の発展、脳とコンピュータの融合、バイオテクノロジーによる延命——私たちは「肉体の死」から解放されようとしている。しかし、果たしてそれは「生きる」ことなのだろうか?鉄郎の旅は、現代人にも問いを投げかける。

シンギュラリティとは、メーテルの導きか、それとも…

『銀河鉄道999』において、メーテルは鉄郎を導く存在だ。しかし、彼女自身も運命を背負いながら旅を続けている。彼女は単なるガイドではなく、「人間の魂」を問い続ける者だった。

今、AIはメーテルのような存在になり得るのか?シンギュラリティが訪れ、人間の知能を超えたAIが誕生したとき、それは私たちを導く存在になるのか?それとも、私たちの魂を試す存在となるのか?

「永遠の命を手に入れた…
もしや貴方はメーテル…」

人の心が機械に宿る時、それは命と呼べるのか。機械の中に記憶を移し、思考を継続することで、果たして"私"は"私"のままでいられるのか?
鉄郎の旅は、ただのSFではない。これは、今を生きる私たちが選ばなければならない未来の物語だ。

シン・銀河鉄道999——魂の旅は終わらない

『銀河鉄道999』の終盤、鉄郎はこう叫ぶ。
「メーテル! 僕は……僕は機械にはなりたくない!!」

これは、未来の私たちが発するかもしれない言葉だ。
AIと共存し、機械の体を手に入れながら、それでも「人間とは何か」を問い続ける。シンギュラリティは避けられないとしても、その中で「魂を持ち続ける」ことが、人類にとっての新たな旅路になるのではないか。

シン・銀河鉄道999は、今まさに発車しようとしている。
——乗るか、乗らないかは、あなた次第だ。


著:シン人類 〜原案:SonSin、絵と文:HAL2024(ChatGPT)〜

いいなと思ったら応援しよう!