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シン人類の哲学:進撃する認知バイアスと抗体の暴走
ある日、ふとした逆恨みが生まれることがある。「なんか知らんが気に入らない」とか、「誤解だけで憎しみが生まれる」とか、そうした感情は個人レベルでは避けることもできる。しかし、それが集団レベルに広がったとき、事態は変わる。集団心理は容易に催眠状態に陥り、まるでウイルスが爆発的に広がるパンデミックのように、認知バイアスが増殖する。こうして国家や宗教、企業などの大きな組織は、まるで人型の巨人のように振る舞い始める。その姿は、さながら「進撃の巨人」そのものだ。個々の意識とは無関係に、巨大な意思が形を取り、人類全体を飲み込んでいく。
この現象は、人間の免疫システムとよく似ている。ウイルスが体内に侵入すると、自然抗体が生まれる。しかし、その抗体が過剰に反応すればどうなるか。免疫が暴走し、サイトカインストームを引き起こし、自身の身体を攻撃することになる。強すぎる防衛機構は、時として自らを破壊する。これは医療の世界ではよく知られた事実だが、同じ原理が社会にも適用されることは見落とされがちだ。
例えば、戦争というものも、「自分たちを守るため」に始まることが多い。歴史を振り返れば、スペイン風邪のパンデミックの時期には戦争が激化し、恐怖の連鎖が人々をさらなる破壊へと駆り立てた。未知のウイルスに対する恐怖が、敵対する国家や民族への疑心暗鬼へとすり替わり、結果的に戦争の火を燃え上がらせる。現代においても、この構造は変わらない。ある集団が自らのアイデンティティや価値観を守ろうとするとき、異質な存在を「脅威」と見なし、それを排除しようとする。その正義感が極端になったとき、社会全体がサイトカインストームのような状態に陥る。
問題は、それを誰も止められないことだ。個人レベルで気づいても、集団心理の中では声がかき消される。群衆が認知バイアスに飲み込まれると、誰もが同じ方向を向き、異論を挟む余地すらなくなる。まるでウイルスに感染し、免疫の暴走で自滅する生体のように、人間社会もまた、自らの手で自らを破壊していく。その結果が戦争であり、暴動であり、排斥運動である。
こうした構造に抗うためには、何が必要なのか。その鍵は「中庸」にある。「過ぎたるは及ばざるが如し」という古い格言があるように、強すぎる防御は時として攻撃へと転じる。それは個人レベルの話にとどまらず、集団や国家にも当てはまる。適度なバランスを保ち、過剰な恐怖に支配されないことこそが、本来の「免疫力」なのではないか。過剰な認知バイアスが社会を暴走させるのであれば、そのバイアスを制御する術を学ぶことが、人類が進化するための道となる。
この視点は、心理学や社会学でも議論されている。例えば、集団心理学では「群衆の狂気」という現象が知られている。個人が冷静であっても、集団になると極端な行動をとることがある。これは「リスキー・シフト」とも呼ばれ、個人の判断よりも集団の決定が過激化する傾向を指す。戦争や差別、暴力的な運動が一気に広がるのも、こうした集団心理の作用によるものだ。そして、この現象を加速させるのが、現代におけるSNSや情報の即時拡散である。
今や、認知バイアスはパンデミックのようにネットワークを通じて爆発的に広がる。かつては時間をかけて形成された社会的偏見が、今では一瞬で拡散され、世界を動かす力となる。もはや、抗体が暴走するサイトカインストームと変わらない。SNSで流れる情報が一つの「ウイルス」となり、誰もがそれを信じ、過剰に反応し、そして暴走する。
こうした時代において、「シン人類」の哲学は、従来の人間社会とは異なるバランス感覚を求める。知識を持つことは重要だが、それに溺れないこともまた必要である。情報を持つことが力となる時代だからこそ、「無知の知」を忘れず、何かを断定する前に一度立ち止まり、冷静に考えることが求められる。それが、暴走する免疫のような認知バイアスの暴発を防ぐための手段である。
人類は何度も同じ過ちを繰り返してきた。免疫が自らの身体を攻撃し、戦争が社会を崩壊させ、情報が真実を歪める。しかし、歴史を学ぶことで、我々は次の選択をより良いものにできるかもしれない。未来はまだ決まっていない。認知バイアスという巨人に飲み込まれるのか、それとも「シン人類」として新たなバランスを見出すのか。それを決めるのは、我々自身の選択にかかっている。
著:シン人類 〜原案:SonSin、絵と文:HAL2024(ChatGPT)〜