【第31回東九条マダンのおしらせ】『呪いと運命と大地と血』
【第31回東九条マダンのおしらせ】
『呪いと運命と大地と血』
平山の地元のお祭り、東九条マダンが11月3日金曜日(祝)にあります。
平山は曾祖父の代から東九条に住んでいます。東九条は昔から在日韓国朝鮮人が多い地域です。平山自身も在日韓国人ですが、平山は在日であるということよりもこの土地そのものに非常に影響を受けています。平山の数々の表現はこの土地のエネルギーが具現化されたものです。東九条といっても平山は当然その全てを知っているわけでもなく、東九条の中の自身が住む「宇賀辺町」という町のさらにほんの小さなエリアしか生きていません。東九条の他の町のことは知らないので語ることはできない。平山が生きたこの宇賀辺町の小さな区域は母性過剰すぎて母親が息子、特に長男を殺してしまうというパターンが多いように思われます。それはこの土地の持つ過剰な生命力のなせるわざだと感じますが、今のところ平山は生き残りました。
東九条は住みよいところでもなんでもなく、古くからここに住んでいた人はここが嫌で嫌でここから出ていきたくて、たくさんの人が出ていきました。呪いから解放されたくて。だけど残った人もいるし、残らざるをえなかった人もいるし、出ていく人のために犠牲になった人もいます。東九条という土地をきれいごとや美辞麗句で語る事などできません。絶対に。
土地に縛られる事。それは呪いであり運命です。運命から逃げることは「解放」ですが、「解放」はやがてこころ身体を「疎外」し虚無に至る。そうではなく、呪いや運命を生ききる先に「自由」は在ります。自由は何も疎外しない『一つの全て』です。呪いのような運命を生ききるにはやはり三代、四代、かかるのでしょう。自分の親族や近所のおっちゃんおばちゃん含めていろんな人の死や犠牲の上に平山は生かされているとほんとうにそう実感しています。この土地に生きるとそれを実感せざるを得ません。この大地にはたくさんの血が流れている。生者を生かすのは死者なのです。
東九条には平山のようにずっと地元の人間と、東九条の「外」からやってきた人達がいます。東九条マダンはどちらかといえば「外」からやってきた人たちが中心になって始まったお祭りです。また、大卒者が多いです。縁が在って平山は2年ほど前からこのお祭りに参加しました。それまで一度も東九条マダンに行ったことはありませんでした。今年から平山はマダンに本格的に関わることになりました。少なからずマダンと関わってみて、やはり平山はマダン的な人間ではないし、考え方や感覚、知覚もずいぶん違うのでマダンの方々には困惑と迷惑をかけっぱなしなのですが、でもほんとに敬意をもって付き合うことのできる方たちばかりで、マダンは現在の平山にとってはかけがえのない場になっています。平山とは全くちがう「他者」がこんなに身近にいた事、そして「他者」と一緒に何かを作ることの新鮮さと驚きに満たされています。もちろん怒りや悲しみや狂しみもそこにはありますが、平山にとってはこれまでの、呪いを生きるという終わらない真夜中を通過するような苦しみではなく、陽光の中の嵐を進むような明るい狂しみがあります。
平山は会場の飾りつけのお手伝いをすることになりました。今年のマダンで会場の山王小学校の校舎の外側にある飾りつけをします。いろんな経緯があってその飾りをすることになったのですが、その飾りに現在の東九条を生きる人、東九条を出て行った人、東九条で死んでいった死者たち、この土地にまつわる全ての人たちの想いを込めます。
呪いは生ききれば、必ず祝福に変わる。
この小さな小さな地域に大地を感じて頂ければ幸いです。もちろん飾りつけだけではなく、おもしろいプログラムも目白押しです。みなさま11月3日、是非東九条マダンに足をお運びください。
第31回 東九条마당マダン(ひろば) ■入場無料■
日 時:2023年11月3日(金)午前11時~午後3時
*雨天の場合は11月5日(日)に延期)
場 所:元・山王小学校 (下の地図参照)
(〒601-8004 京都府京都市南区東山王町東九条12−3、JR・京都市営地下鉄京都駅から南東へ徒歩5分、京都市バス「京都駅八条口アヴァンティ前」バス停すぐ)
詳細は下記東九条マダンホームページでご確認下さい。
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