平山剛志

大万物祭と心身神体ワークショップを主催しています。 大万物社 https://dai…

平山剛志

大万物祭と心身神体ワークショップを主催しています。 大万物社 https://daibanbutsusya.com/

最近の記事

【東九条マダンでの大万物祭 万事無事終了しました】

【東九条マダンでの大万物祭 万事無事終了しました】 『祈りと叫び』 おれは泣く、ことばも無く、何も無く、あなたも無く、かなたも無く、何も無く、この身体だけが在る。 金が無い、情が無い、愛が無い、情け無い、容赦無い、何も無い、この現実だけが在る。 もはやおれすら無い 何も無く、この現実と身体だけがある。 ことばを持つ者がことばを持たざる者のことを軽軽と語る ことばを持たざる者は返す言葉も無い どうしようもない。おれすら無いのだからどうしようもない。 どうしよう

    • 【こころの借金と運命。共依存と生命。】

      【こころの借金と運命。共依存と生命。】 少し前にみた夢で、自分に伴侶がいてこどもが二人いて、会社務めをしていて一軒家をローンで買って…といういわゆるふつうの生活をしている人生を体験した。あれはあれで幸せで、穏やかで何の不満もないし悪くない人生だと思う。  平山は表現活動をしているといっても自分がやりたいことをやっているわけではない。本来両親が取り組まなければならなかった問題や課題が子供である自分に持ち越されその問題に取り組んでいるだけで、それが自分の場合はたまたま絵や身体

      • 【論と幽霊】

        【論と幽霊】  最近平山が住んでいる東九条地域に関わる研究者が書いた論文をネットで拾ってきて読んでいる。研究者の書いたものなのでしっかり調査して書かれているのでそれなりに読んでいておもしろいし新たに知るようなこともあるのだけれども、なんか読んでいて違和感がある。研究者は研究者自身の興味関心や問題意識に基づいてその地域について研究するわけでそれは勿論当然なんだけど、それは地域住人の当事者がもつ問題意識や興味関心とはズレている。研究者が調査した現象から本質や構造を抽出できたと思

        • 【東九条マダンで大万物祭を挙行します】

          【東九条マダンで大万物祭を挙行します】 『叫びと祈り』 来月11月3日日曜日、平山が生まれ育ち今も暮らしている京都市東九条地域のおまつり「東九条マダン」にて大万物祭を挙行します。  その土地に生まれ、その土地にながく暮らしているとその土地について語る事などできない。その土地を生きることはもう自分だけの人生ではなくなる。自分自身を語ることですらもう自身の周りの人間のことを語ることになる。この土地を生きる痛みを知るものならば他人のことを易々と語ることなどできない。自分自身を

        【東九条マダンでの大万物祭 万事無事終了しました】

          【身体技法はなぜ効かなくなるのか】

           世の中にはたくさんの「技法」がある。身体の技法、心理療法的なこころの技法、宗教的修行をベースとした神にまつわる技法。 これらを身体、心体、神体、の技法とする。どのジャンルの技法もやってみるとわかるが最初は何か効果があるのだがやがて効果がなくなっていく。 まるでクスリのように。そこでまた違うジャンルの「技法」に飛びついてはそれを試しては効かなくなって、また次のジャンルの「技法」へ… と「技法」の遍歴の旅を繰り返す。もちろんその探究自体は悪い事ではないが、ここで探求の方向を変え

          【身体技法はなぜ効かなくなるのか】

          【読書感想文】「カラーセラピーと高度消費社会の信仰 ニューエイジ、スピリチュアル、自己啓発とは何か? 加藤有希子 著 サンガ」

          【読書感想文】 「カラーセラピーと高度消費社会の信仰 ニューエイジ、スピリチュアル、自己啓発とは何か? 加藤有希子 著 サンガ」  ニューエイジ、スピ、自己啓発は胡散臭い。が、実は胡散臭いのはこれらが蔓延る現代社会そのものなのかもしれない。そしてその現代社会を生きる「わたし」自身がすでに相当うさんくさい存在であることは免れ得ない。この「うさんくささ」とは一体何なんだろうか?うさんくさいとは本物ではないとか本当ではないとか作為的に作られたものというか仕組まれたものとかそんな

          【読書感想文】「カラーセラピーと高度消費社会の信仰 ニューエイジ、スピリチュアル、自己啓発とは何か? 加藤有希子 著 サンガ」

          【セラピー的表現の危険性】

           表現にはどんなジャンルにも自己セラピー的な表現がある。自身の病や傷を癒すもしくは再生するための表現。勿論それは表現にとって大切な要素である。 が、自己セラピー的な表現を無自覚にしてしまう時、無関係な人を巻き込んで傷つけることになる。セラピーというのは傷を直接扱うのだから、 その周辺では投影や転移がばんばん起こる。周囲の人がその投影や転移に無自覚に巻き込まれるとき、その表現者の傷を埋めるために犠牲になる人が出たり 、また傷が傷を増やすような自体が起こる。これが個人的な傷ならま

          【セラピー的表現の危険性】

          【読書感想文】「精神世界のゆくえ 宗教からスピリチュアリティへ」 島薗進 法蔵館文庫

          【読書感想文】 「精神世界のゆくえ 宗教からスピリチュアリティへ」 島薗進 法蔵館文庫 平山の身内がとある新宗教系のカルト宗教に嵌まっていて、家族自体が精神的にも経済的にも被害を受けていた時期があり、カルト的なものに対しとても嫌悪感がある。だけれども、人間が「救い」や「癒し」を求めるその心情はとてもよくわかるし、近代的な理性や知性だけでは「救い」や「癒し」はもたらされないこともよく知っている。カルト化するのが悪いのであってそのような「救い」や「癒し」を求め何らかの実践をす

          【読書感想文】「精神世界のゆくえ 宗教からスピリチュアリティへ」 島薗進 法蔵館文庫

          人間になりたい

          【人間になりたい】  欲望、願望、夢、それを何と言ってもいいけれども、例えば「プロ野球選手になりたい」「お金持ちになりたい」「有名になりたい」「モテたい」「美しくなりたい」「贅沢したい」「安定した暮らしがしたい」「貧困から抜け出したい」「愛されたい」「差別されたくない」「…」と何でもいい。何でもいいが、それがどんなに卑近なものであっても欲望や願いの根底には「人間扱いされたい」という想いがある。欲望や願望が叶わない苦しさには自分が「人間あつかいされてない」という苦しみと疎外感

          人間になりたい

          【読書感想文 A.ミンデル ユング心理学の新たな発展/シャーマンズボデイ】

          【読書感想文 A.ミンデル ユング心理学の新たな発展/シャーマンズボデイ】 ・A.ミンデル ユング心理学の新たな発展  吉福伸逸 編集・監訳 山王出版 ・シャーマンズボディ アーノルド・ミンデル 著 青木聡 訳 藤見幸雄 監訳解説  アーノルド・ミンデルさんが亡くなられたと最近知りました。ミンデルは平山が多大な影響を受けた人で、平山がいつも身体が、身体が!身体が♫…と喚いているのもミンデルの影響が大きいです。また平山が心身相関的な身体技法に取り組むきっかけになったのもミンデル

          【読書感想文 A.ミンデル ユング心理学の新たな発展/シャーマンズボデイ】

          【読書感想文『神と人のはざまに生きる 近代都市の女性巫者』】

          『神と人のはざまに生きる 近代都市の女性巫者』 アンヌ ブッシイ 著 東京大学出版会 「私の白高さんはそうした軽薄な振る舞いを許しません。行は絶対でなければならず、限りがあってはならないのでした。」(本書p84)  絶対でなければならず、限りがあってはならない。なんと厳格なことだろう。人間は当然相対的だし、有限。誰かと比べて劣っていて優れているし、食べなければいけないし寝なければいけない。絶対でなく、限りがあることが軽薄なのであれば常人はみな軽薄であることになる。そし

          【読書感想文『神と人のはざまに生きる 近代都市の女性巫者』】

          【読書感想文『安全に狂う方法 アディクションから掴みとったこと』】

          【読書感想文】 『安全に狂う方法 アディクションから掴みとったこと』 赤坂真理 著 医学書院  平山はアディクションとか依存症ということばをなるべく使わないようにしている。というのもこのことばはなかなか厄介で、どんな事象に対してもアディクションのひとことで説明できてしまうような危うさがあるからだ。 本書では >アディクションとは、主体性を発揮したくてもできない状態のことだ(p017) >さらに考えてみる。対象から離れられないという意味に強調を置くと、わたしとして

          【読書感想文『安全に狂う方法 アディクションから掴みとったこと』】

          【正気と病気と狂気】

           社会と関わりたくないという気持ちはとてもとてもとてもよくわかる。社会と関わる事は「病気」にならなければいけないような側面があるからだ。社会は自然ではない。ある意味人間が作った不自然なもので、その規模や複雑さが増えれば増えるほどその社会は不自然さを超えて「病的」になる。そんな「病的な社会」に適応しようとすると、必然的に「わたし」もまた病的にならざるをえない。その事に気が付いた人間にとっては社会に参入することはとても苦しいこととなる。病気にならなければならないのだから。とはいえ

          【正気と病気と狂気】

          【瞑想→心理→身体→瞑想→…/神体・心体・身体と「わたし」】

          【瞑想→心理→身体→瞑想→…/神体・心体・身体と「わたし」】  いきなり瞑想すると、最初はきもちよくても必ず心理的な壁にぶつかる。思い出したくない過去を思い出したり、克服できないコンプレックスに襲われたりすることになる。だから瞑想には心理療法的な補助が必要となる。心理療法的な何かしらをやっていると最初はいろんなことが理解できてコンプレックスを克服できたりもするけど、心理を突き詰めると心理療法的な思考や働きではどうしよもない領域にぶつかる。その領域とは身体そのもので、心身相関

          【瞑想→心理→身体→瞑想→…/神体・心体・身体と「わたし」】

          【感情を感染させないために】

          【感情を感染させないために】  ふだん怒りを抑圧している人の怒りはこちらに感染しやすい。それは怒りだけではなく、悲しみや諦めや絶望も、それが抑圧されたものであればあるほどその感情は感染しやすい。ある人物やある集団の行為を見てそれにとても怒りや悲しみを感じたならば、実はその怒りや悲しみはその人物や集団自身のものであることがままある。本人が感じずに抑圧され行き場のない感情は他者が「感じる」ことになるのだ。  おれは表明する。怒った、悲しい、悔しい、苦しい、痛い、といちいち表明

          【感情を感染させないために】

          アバンティの本屋が亡くなった

          アバンティの本屋が亡くなった 「アバンティ行ってくる」といえば自分にとってはアバンティの六階にある本屋のことだった。小学校のころに母親に連れてきてもらっていらい何度も何度も通った本屋。イオンモールの大垣書店ができるまではおれが住んでいる東九条地域には大きな本屋は無かった。アバンティの本屋には専門書がたくさんずらっと並んでいて、中学生の頃、背伸びして分かりもしない本を買って読んでいたけど、背伸びするためには背伸びできる環境が必要で、アバンティの本屋はおれにたくさん背伸びさせて

          アバンティの本屋が亡くなった