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ブリコラでリレートークをしてきました~肉牛の命の汀を考える~

こんばんは!
2024年7月に、帝京科学大学にある博物館施設「OPEN AIR LAB ブリコラ」で開催されたトークイベント「ちょっと真面目なリレートーク」に参加させていただきました。

イベントでは、学生さんたちに加えて帝京科学大学の先生方も参加してくださり、最後まで話が尽きませんでした!

今回はこちらのイベントの様子をお届けします!


ちょっと真面目なリレートークとは?

登壇させていただいたイベントは「ちょっと真面目なリレートーク」の第12回。様々な分野の話題提供者が、参加者と丁寧な対話を重ねていくシリーズイベントです。私たちは、トークテーマ「命の汀」全3回のうち、第2回に参加させていただきました。第1回のテーマでは、伴侶動物であるペットの死に対する向き合い方などを話題にされていました。私たちは、その次のバトンを受け取る形で、「肉牛の命の汀」について話題提供することになりました。

テーマ「命の汀」の汀(みぎわ)って?

今回のテーマである「命の汀」について、皆さんは考えたことがありますか?
そもそも、汀という言葉を使わないですよね。汀とは、「水のほとり、波が打ち寄せる場所、境界線」のことです。水際が風や波で揺れ動くように、生と死の境界線も定かではありません。そして、生と死の汀の話は私たちの心を大きくかき乱すものです。生と死、命に向き合うということについて考える時間をいただく機会となりました。

話題提供をしたきっかけ

私たちが肉牛をテーマに選んだのには、きっかけがありました。それは、わたなべがずっと抱いていた疑問から始まります。
わたなべは学生時代、動物園をフィールドにして活動してきました。動物園にいる動物は、終生飼育をすることが基本です。そんな動物たちを見てきたので、畜産をお仕事にされている方々に対し、「自分が愛情を持って育てた動物が食べ物となり、そしてそれが口に入るということに抵抗を感じて、つらい気持ちにならないのかな?どんな気持ちで動物たちと向き合っているのだろう?」と、疑問に思っていました。ゆっこは、もともと畜産の現場で働いた経験もあり、自分が育てた動物たちが口に入ることに関しては、「動物たちの命が、食べるすべての人の命を繋いでくれている。」という感覚でした。
このトークリレーに出ないかというお話をいただいたちょうどその頃、わたなべが畜産動物について理解するためにも、実際の現場を見に行こう!という話が出ており、肉牛農家と牛の獣医師に密着取材とインタビューを企画していました。そして「これって全部つながることだよね。」ということでイベントへの参加が決まりました。

イベント当日

はじめに、参加者の皆さんにわたなべが感じている疑問をお話しして、「自分が育てた生き物を食べること」についてご自身の考えを伺いました。参加者の皆さんからは、このような意見が出ました。
○私は動物の命を頂いて食べることに抵抗がないので、美味しさとか、自分が育てる上で工夫したことの結果が出ていればいいなと思う。
○大学に入るまでは、自分では育てられないけど、誰かが育ててくれたのならば食べたいなと思っていた。大学に入ってからは、責任を持って関わってみたいなと思うようになった。経験したことがないので、どんな気持ちになるかわからないが、経験してみたいと思っている。

次に、肉牛の生産の流れについて、ゆっこから説明しました。
お肉になる肥育牛の場合、出荷できる十分な体格になるまで、2年以上の歳月がかかります。肥育牛を産む繁殖牛は、毎年子どもを産んだとして、およそ7回出産したらお肉になります。肥育牛の場合でも約2年、繁殖牛では10年近く共に過ごすことになります。出荷されたあとの牛たちがどうなるかというと、と畜場でと畜され、卸売業者や食肉加工業者の手によって、さまざまな形に変わります。そしてスーパーのような小売店や外食店に並び、私たちの元に届きます。


肉牛がお肉になるまで


肉牛が牛肉になるまで

この説明のあとに、繁殖から肥育まですべて一貫で経営されている、山口県萩市の肉牛農家「岩本畜産」さんと、農家さんを支える存在として欠かせない獣医師の仕事紹介として、栃木県那須市の「寺内動物病院」さんのインタビュー動画を放映しました。
岩本畜産
寺内動物病院

動画を視聴した後は、感想を述べたり、質問をしたりする時間をたっぷりと設けました。
参加者の皆さんからはこんな感想や質問が出ましたよ。

○今、動物愛護と動物福祉がごちゃごちゃになっていて、食べることとかわいそうという気持ちが切り離せない。今日のお話を聞いて、皆さんが動物福祉と動物愛護を区別出来ていてすごいなと思った。
○動物が好きとおっしゃってましたが、最初から食べる動物を育てるお仕事を選んだのですか?
○終生飼育して可愛がる動物と終生飼育しない動物の存在に違和感を感じている。どんな気持ちで皆さんはお仕事をされているのですか?
○野菜の食べごろがあるように、牛の食べごろだ!っていう感覚はあるのですか?
○ペットの感覚とはやはり違うなと感じた。また、背景には宗教的なものもある気がする。畜産動物について学ぶ場の必要性を感じた。
○動物福祉に配慮した畜産物は手間も時間も人手もかかるから、価格が高いのは理解できるが、なかなか今の自分の経済力を考えた時に手が出せない。
などなど…

岩本さんご夫婦と寺内さんには、お忙しい中お時間をいただき、どんな質問にも丁寧にお答えいただきました。

最後に、進行を務めてくださった佐渡友先生より、総括をいただきました。
『このような話をするときに重要なのは、言葉や理屈できれいにまとまる事にはきっとならない、ということを前提におくことです。ある程度分野ごとにカテゴライズすることも大事ですが、境界もあります。そして必ず葛藤というものがあります。動物と関わる上では、葛藤は避けられません。それらを考えながら暮らしていくことが大事ではないでしょうか。』

皆さんの気持ちを聞かせていただきながらモヤモヤと考える時間は、私たちにとっても大変刺激になりました。本当にありがとうございました。

私たちが感じたこと

わたなべ
どうねむの活動を通して、様々な分野を横断的にのぞき見していく中で、同じ動物でも人間が与えた役割によって見え方や感じ方が異なることを改めて感じ、またモヤモヤとしてしまいました。こういった動物と向き合うこと、動物達のことを伝えなくてはという使命感がさらに湧き出てきました。そして動物福祉を応援してくれる人をすこしでも増やせたらなと強く思いました。

ゆっこ
水際の境界線が寄せては現れ、返しては消えるように、さっきまで生きていたのに死んだ。もうすぐ死んでしまうけれど今は生きている。死んで、今はもういない。養豚場で働いていた頃は、このような場面を何度も見てきました。今回の「命の汀を考える」というイベントでは、学生・先生・農家・獣医師という立場を超えて、畜産動物という『命の終わり(=食べられること)が決まっている動物』について考えた時間でした。普段意識をしていないだけで、誰しも何かを奪って生きています。直接的でなくとも、野菜を作る過程では虫に食べられないようにその命を奪いますし、和食に欠かせない出汁は無数の魚の命から出来ています。何も奪わずに自分の命を繋いでいるわけではない。でもそこでふと立ち止まって、罪悪感を持ってしまう矛盾も理解できる。そういう「命の汀」を、あの場にいた一人ひとりが、肉牛という動物を通して考えたのではないでしょうか。普段意識していない呼吸を意識するときのように、この記事を読んでいる方にも考えていただければ幸いです。


ブリコラの館長である藪田先生、イベントの進行をしてくださった佐渡友先生、岩本畜産さん、寺内さんとパシャリ!


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