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自分の都合&自然との対話:「日本」の立ち位置は、かなり特殊であるということ (ニンゲンにきいてみた: 音楽プロデューサー 稲葉瀧文さん)

ニンゲンにきいてみた: 音楽プロデューサー 稲葉瀧文さん


「アニマルSDGs x うた」。EMI
=Education(教育) x Music(音楽) x Intractive(対話)を提唱する音楽プロデューサーの稲葉瀧文氏。アニマルSDGs編集部では、稲葉氏のブログ「恩学」より、自然のこと、動物との関係のこと、人間だからできること、などをテーマに発信してきます

自分の都合で話を進める人が多い。
自分の都合で時間を遅らせても平気な人がいる。
自分の都合で善し悪しの価値観を決める人が多い。
自分の都合で好き嫌いを言い張る人がいる。
これらは全て幼児期の育った環境によるものが多いのです。

兄弟がいるのか一人っ子なのか親類(大人)との交流はあったのかが大切です。
幼児期に周りに人が多い場合は自然に人と付き合う礼儀を覚えます。
いわゆる我慢することを覚えた子は周りとのバランスを取ることが出来るのです。一人っ子の場合は周りの大人が子どものわがままは「可愛い」と甘やかすから、何もかも自分本位で判断する様になってしまうのです。

しかしそうしなければならない国もある。お隣の中国です。
中国は日本の10倍の人口が存在しているので他人より目立たなければ
存在が無視されてしまう。私が俺がと声を出して手を上げなければ
取り残されてしまうのです。自立があるというのではなく自意識が強いのです。
一人っ子政策で甘やかされて育って来たので総じて我儘なのです。
しかし巨大な我儘は世界へ脅威を与えることも事実である。

アメリカのトランプのように「アメリカン・ファースト」と叫び、
自国の繁栄のためにだけに政策が執り行われば
戦争へと発展していくことは確実である。
アメリカは大量の武器を売りつけて罪なき人々を殺しているのです。
経済を優先すると必ずそこには多くの罪なき被害者が生まれてしまいます。

もし中国の習近平が「チャイナ・ファースト」と叫んだら
世界はどうなるのでしょうか? 世界一の大国がエネルギーも食料も
確保するために隣国へ侵略することは明らかです。
万が一アメリカとロシアと中国が戦えば地球は完全に消滅します。
その引き金はお調子者の北朝鮮の金正恩かもしれません。
他国へミサイルを撃ち込んだ時点で第三次世界大戦が勃発します。

この巨大国家は相手のことを思いやる、譲り合い、平等、謙遜などは
通じない国である。日本流の外交政策は国際社会では通用しません。
戦わない日本へは金銭の要求だけがますます増えて来るのです。

ここで問題なのは全てが目の前の私利私欲にとらわれている事です。
自分達にとって心地が良いか、また利益があるのかということに
とらわれて大きな視点が失われてしまっていることです。
結局は自分(国)の都合でしか判断できないのです。
小事にこだわり大局を見失っています。
常に全体を俯瞰で見るようにすれば地球規模で守るべきものは
何かが分かるはずです。

自分の都合は何事も目の前の自分に焦点を合わせます。
一度相手の立場に焦点を合わせてみることが大切です。

私たちの心は、何かをしながら心のどこかで、他のことが気になったり、
他のことが心配になったりと、ついつい別のことを考えてしまいます。
案外、一つに集中するのは、簡単のようで実は難しいことではないでしょうか。
私も何か作業をしていても、つい他のことに気を取られ、
結局中途半端になることが多々あります。

そんな時こそ「常行一直心」の教えは私たちを導いてくれるのです。 
『六祖壇経』の語録には「常行一直心」を実践することで、道はただちに
広まると示されております。『六祖壇経』より 

一つのことに、真っ直ぐな心で取り組む姿勢は、
自分と周囲を明るく導いてくれます。
ただ単に一つのことをやるのではなく、そこに「真っ直ぐな心」という、
純粋で何ものにも執着のない心が伴っていなければなりません。
そこが難しく感じますが、私たちには、それができる素晴らしい可能性を
誰もが持っているのです。
その心に触れ感じることができたなら、きっと道は切り開き、
日常が豊かになると、私は強く信じております。

職人の教えの中に「一つのことを止める」というのがあります。
正に「常行一直進」です。「正しい」の文字は一つのことを止めると書きます。

実際、日本の伝統工芸には西洋工芸にはない異質性があります。
純化されきった感、突き抜けた感、浮揚した感、超自然感…。
理屈では説明できないなんとも言えない特殊性が宿っています。

それは数学的な世界観がベースの西洋人には「何か得体のしれないもの」
として伝わっているように思います。実際、欧州に住んでいて分かるのは、
「日本」の立ち位置は、かなり特殊であるということ。
欧州人には神秘的に映っているということです。
では、どうしてそこまで違って映るのか。
哲学的に分析するなら、やはり人文知の在り方の違いではないでしょうか。

西洋知と比較して、あきらかに日本知で際立っているのは、
自然との「対話」の在り方ではないでしょうか。
日本の方が自然との距離が近い、逆に西洋は理性(アカデミズム)を介在させる。
日本知には体系化された座学はない。実践ありきである。

そして、工芸単体だけでは成立せず、生活様式の美しい在り方の追求に
捧げるためのものである。この生活様式の在り方を追求したもの
西洋的にいうなら「美学」が、茶道、華道、書道、
そして武士道といった「道」である。

そしてこれらを統合したのが宗教であり、それは向こう側の世界に繋がるための方法。いわゆる彼岸の世界、桃源境、真美真実の宿る世界。
超自然。が、この「向こう側」で西洋と日本では大きな違いが生じます。

自然から学んだ日本知を今一度再確認する時期かと思います。
物事を俯瞰でみるとあらゆることが見えてくるはずです。

改めて自分の都合で判断するのではなく、相手の都合で判断することを
恩学を通じて学びましょう。

稲葉瀧文(恩学 2024年7月12日)


恩学とは 
音楽プロデューサーとして生きてきた中で、常に人の心を見つめながら、感情の発露を気に留めてきました。時代によって移り変わる人としての価値観、その価値観によって変わる感情。自分から作り出す精神的な強さや脆さ、他人から影響を受ける感情の起伏。喜怒哀楽は個人の中にあり、それぞれが喜怒哀楽のガラスの針を持っているのです。些細な事で喜んだり悲しんだりするのは、そのガラスの針が左右に振れるからです。その為に先人達は仏教書や哲学書を読み、切磋琢磨しながら過酷であり又遊楽な人生を過ごしてきたわけです。
 日本人としての心の有り方を調べていく内に「恩」という文字に強く惹かれました。人として「生老病死」の一生です。生まれて、老いて、病気になって、死んでいく中で、他人から受けた思いやり、やさしさ、心づくしが、どれ程勇気付けられた事か、誰でもが経験している事です。
 その受けた「恩」を返さなければなりません。私自身の経験から出た「恩返し」の話や本で読んだ話、人から聞いた話、それらを文字にして書き連ねてみようと思います。徒然なるままに稚拙な文章ではありますが、ご一緒して頂けると嬉しいと思います。
2010年2月14日

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