2024年を終えるにあたって

煙乃街です。
例年、大晦日は自分の場合何だか良く分からないけどネットの更新をしたり本を読んだり…とあくせくしていることが多い気がするのですが、その例に漏れず今年を振り返ってみます。

激動の一年でした。世間的には石川県を中心とした能登半島地震で不安から始まった一年でした。犠牲者の皆様にまず哀悼の意を表します。

そして私にとっては挑戦の一年でした。いつも絵を描く、漫画を描くといった「創り手」への憧れと憎悪を持っていた私が、遅蒔きにはまったテレビアニメ「Do It Yourself!!」によって、20年ぶりに漫画を描こうと決意し、同人活動を始めました。

同人誌の世界など、元々自分のような分際には眺めているだけがお似合いで、関われば私がその様々な人にとっての居場所を壊してしまうようなものだと思っていました。しかし、私はきっと貧乏だから夏コミに行くお金がないという、品のない理由で同人誌を描くという側になるという選択をしました。
ファンのオフ会も同様です。今までネットの延長として参加することはあったけれども、全く見ず知らずの人々に割って入り、イベントで会話するということは初めてではありませんが、ほとんど二度とないと思っていた経験でした。

同好の士の世界は、私も意志疎通の不得手な人間なので、全く苦労がなかったと言えば嘘になります。しかしその労苦の対価は補ってあまりあるものでした。

3月に決まった、夏コミのDIY合同誌への参加。
4月の、DIYファンベースの一周年オフ会への参加。次いで、ファンの皆様が作り上げていた三条マルシェでのDIY御輿の御輿担ぎ。
6月に締め切られ、8月に開催されたガタケットへのサークル参加。そして
12月への二度目のガタケット参加と、冬コミの合同誌への参加。併せて、他のDIY同人誌への寄稿。

繰り返します。私はクリエイターは自分を踏みつけてくるものであり、過去にその立場に成りたいと思うことがあっても、それは「踏みつける側になりたい」という権力欲の顕れだと思っていました。
しかし、大学時代の漫画研究会での活動を除いて、同人活動をしたことがほとんどなかった私がそう思ったことは、芸術や芸術的人間の崇高さーそのようなart自体を否定するものではありませんーではありません。思えば、大学時代はお話を描くことが目的だったから、絵の練習は全く出来ませんでした。苦痛と言って良かったと思います。私がそのような強迫的な芸術観を捨てられたのは、芸術が同人活動を通じて日常を非日常へスイッチングするものではなく、日常と地続きであると知ることが出来たからです。
Xでも呟かれていたように、夏に行われたDIYファンの絵画教室で、高山瑞穂先生は「日本の漫画の素晴らしさは読者にある。読者が殴り描いたような作品でも魅力を読解によって発見してくることにある」という趣旨のことを仰っていました。この芸術観は、例えば10代の頃実兄に無理矢理(といってもある種の共犯・共依存関係があったことは否定しません)押し付けられていたクラブミュージックや、いわゆる「お洒落ではない」渋谷系の芸術観とは全く異なるものでした。
オーディエンスもクリエイターも芸術全体の質に責任を負い、「レベルや志の低い」作品を淘汰するためお互いを厳しく監視しなければならないとするものです。よって「ジャンルが自我」(大塚英志)であるオタクの芸術への態度はそのために芸術全体の質を犠牲にする不誠実な態度だということです。

とはいえ、これは例えばジョン・ケージが「4分33秒」を世に問うたことと似ています。この作品でまさにケージは日常=生活音を音楽として「発見」したのです。それは鑑賞者が自ら芸術として区切られた空間や時間に芸術性を主体的に見いだしていく過程でもあったはずです。それはそれまでの音楽が、創り手と受け手に厳格に分けられ、前者が崇高視されていることを根底から覆すことだったということです。私は知識として現代音楽や同人活動、物語消費などのファンフィクションを知っていても、実際に同人活動を経験するまでその転倒を感覚として理解できていなかった。そういうことだったと思います。
あえて言えば、私はDIYというジャンルを神聖視しているわけではありません。同時に、くだらない作品だと思っているわけでもありません。しかし、人々の交差、コミュニケーションの束としてのジャンルを体感することは出来たと思います。それは自分を綴じ込め、外界から防御する殻ではなく、ジャンルという道を中心に人々が折り重なっていく文化の一環であるということです。

崇高と依存を断ち切ることが、逆説的に芸術の「芯」へ近づく前提だったということです。私は今でも自分をクリエイターとは思いませんので、不遜なことは言えませんが、若い野望や苦渋の中では、他の人はともかく、私はそのことを実感することさえ出来なかったと思います。

思えば、現在でも現代美術を修めている実兄の高校時代のアイドルであった、デラウェアというバンドの代表曲は「Musician Is Dead」でした。創り手を葬るということは、創ることに回ることでしかできなかったのです。その意味では、大学時代よりかは創るということに近づけたのだと思います。



今年、2024年を以て、その呪いを断ち切れたと思います。来年も恐らく、私はデラウェアがミュージシャンを名乗らなかったように、クリエイターを名乗らないと思います。しかしそれは創ることが自分の日常や生活の一部となる。そういうことに近づいたからこそ、クリエイターではないと言うことになるのだと思います。


呪いを断ち切ってくれた、
同人活動に誘ってくれた、
オフ会を企画してくれた、

DIYファンの皆様。ファンベースを運営するTREEの皆様。
そしてもちろん、米田監督、稲垣好様、吉野監督、上村ひなの様以下、Do It Yourself!!という作品を創ってくれた表現者の皆様。


深く感謝いたします。

ありがとうございました。