生まれた瞬間に人生が決まる
入力が大事という話
脳は毎日、入力から判断して、それを経験として記憶する。
この時、判断基準は経験則といわれる記憶だ。
経験則とは、言わば毎日積み重ねてきた記憶。こうやったら良かった、悪かったという記憶。
これら経験則によって物事を判断するという行為は、人生の大事な判断から、日常の些細な判断まで全てにおいて行われている。
今日、ラーメンを食べたとする。
なぜそのラーメン屋に決めたのか考えて欲しい。
頭の中で考えてみる。
今日は休みで何気なくテレビを見ていた。
午前10時くらいに画面の中で美味しそうなラーメンを食べている。
頭の中ではお気に入りの店の豚骨スープの味の記憶が呼び出される。
よし、あの店にしよう。
ん?いや待てよ?あの店はこの間行ったなぁ。
最近評判の店が近くにあるって聞いたぞ?
じゃぁそっちの店に行ってみようか。
だいたいこんな感じでお昼の店は決まるのではないか。ここで注目して欲しいのは、全て記憶の情報から判断している点だ。
豚骨スープの味の記憶、あの店はこの間行ったばかりの記憶、最近評判の店の記憶。
そして、ここには書かれていないが、前に新しいお店を見つけて美味しかった記憶。
実はこれが最終的な後押しで決断した。
全て記憶。情報としての記憶と、経験則の過去の記憶から物事を判断している。
つまりこの例では、過去に新しい店で美味しかった経験、もっと言うと、その時に味わった当たりのお店を見つけて感動した!という体験、感覚をもう一度得たいという欲求によって判断している。
また、経験則とは良い思い出だけでなく、嫌な思い出ももちろんある。嫌な記憶が読み出されたら、そうならないための判断をする。
ただこれらの反応は動物でも同じだろう。野良猫にエサをあげれば毎日家に来る。これは良い思い出。昔の人は犬のしつけに暴力をふるってた。これは悪い思い出。ある程度の大きさの脳を持っている動物ならば、生きていくための基本行動なのだと思う。
ここまでは判断する上で記憶が大事だよ、ということを言ってきた。しかし、記憶の上流を登っていって欲しい。記憶はどうやって行われる?
まずは入力がないと記憶も何もない。
目で見た視覚、耳で聴いた聴覚、ほかには嗅覚、味覚、触覚の五感から入力を得る。
そしてもうひとつは情報。情報とは実体がなく、人と人の間で意思疎通を行うためのツール。
「ラーメン」という情報、
「ラーメン屋」という情報、
「あのラーメン屋はうまい」という情報。
あの物体は「ラーメン」と呼びましょうね、という皆の了解のもとに成り立っている。それが情報。
そしてそれら入力を複雑に絡み合わせて体験が生まれる。体験とは、目の前で起きている出来事に自分が関わることで得られる五感+情報の入力群とそれよって引き出される感情のセットである。
新しいラーメン屋がある(情報)
ラーメン(情報)が美味しかった(味覚、嗅覚)
→新しいラーメン屋に入って美味しくて感動(感情)
これらをセットで記憶して経験則となる。
また、人間の今持っている考えは、経験則がベースとなる。
あの時、楽しかったから、こういう場合にはこうしよう。
あの時、つらかったから、こういう場合にはこうしよう。
なので自分が何でそう考えるようになったのか?を遡ると過去にどんな体験をしたのか?にたどり着く。
つまり、入力とは非常に大事なのであーる。
親がヤンキーの子供はヤンキーに育つ。
親が東大の子供は東大に行く。
すべては環境という名の入力なのである。
我々は毎日判断を行っている。
入力に対し経験則で判断し出力し、また経験則として記憶する。
そう考えると、生まれ落ちた瞬間、あるいは胎児で脳が機能し始めた瞬間、その時の入力(環境)でこれからの人生が決まる。
あながち生年月日占いも関係なくはないということになる笑
暑い季節に生まれた子
寒い季節に生まれた子
スタートの入力が違えば、経験則が違う。
経験則が違えば、判断結果が違う。
というわけで、ここまで入力が重要という話をしてきたが、じゃぁ子供の頃に恵まれた環境じゃなかったらダメなの?という声が聞こえてくる。
そんなわけは無い。
入力が大事だと分かれば今からでも経験すればいいのだ。
目標となる人がいれば、そのひとの近くで仕事をする。そのひとの仕事の真似をしてみる。その人にはなれないけど、近づくことはできる。やがて似た判断力、考え方が身に付くはずだ。
まぁ、あなたが生まれてくることも、あなたがどう生きるかということも、このNOTEを見ることも、この後に行動を変えることも、変えないことも、すべて決まっていることですけどね。。
それでも自分の映画(人生)ですから、できるだけ刺激的な方が面白くないですか?
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