ここでちょっとひと休み5:パラサイトを観て
最近やっと『パラサイト 半地下の家族』を観たので思ったことを書き出してみました。(芸術作品の鑑賞の仕方はよく分かりませんが。)
※ギテクを父親、ギウを息子、ギジョンを娘、チュンスクを母親と呼んでいます。
クライマックスのパンティーもといパーティーのシーンでなぜ娘のギジョンとパク社長がやられ、ほかの人物は助かったのか?この意味は何か?
地上・半地下・地下の「一線」を越えなかった人物がクライマックスで標的にされたのか?
息子のギウが母親と娘に水を飲むか聞いたシーンの意味は何か?なぜ父親には聞かなかったのか?
なぜ娘はちょうどその時水を欲しがっていたのか?
父親のギテクは裕福な子供はひねくれたところがないと娘の目の前で言い、元運転手を気にかけたことを言う。間接的に娘はひねくれていると言われ、気にかけてもらえない。当然娘は怒る。それにもかかわらず父親は相手にしない。なぜ娘に冷たいのか?
家族の中で娘だけ少し違う。運転手食堂のシーンでもそういう演出がある。一人だけ台を挟んで反対側にいる。これもクライマックスにかけての伏線なのか?ここにも何か「一線」があると考えるのは妥当か?
椅子か何かの下に家族3人隠れるシーンで、パク夫婦が父親のにおいを話題にしているとき、カメラは父親だけでなく娘もとらえている。また、キム家にとっては娘のことが話題になっているときも、娘だけじゃなく二人が映っている。これはなぜか?
その場面で娘は父親を心配してる様子だが、父親は娘のことを心配していない?娘が話題になっているときに、父親は目に腕をあてている。
何も考えまいとしているとき、父親は目に腕をやる?
家が浸水している場面で、娘は上から流れてきた汚水の "上" で、汚水あふれるトイレの蓋を無理やり閉め、その上に乗りタバコを吸う。なぜこのシーンが必要だったのか?なぜカメラは娘だけでなく、下半分に汚水もとらえているのか?
娘は格差には見て見ぬふりをし、一線は越さないということか?
クライマックスで、父親は包丁の刃を上にして持っている。わざわざ逆さにして持たせた意味は何か?
地下が半地下を標的にし、半地下が地上を標的にした。包丁はその順に渡る。
父親がパク社長を倒して母親と娘を振り返った時、二人は父親を見ていない。
その時皆パク社長よりも "上" から社長を見ている。カメラワークも上から下。これは何を意味するのか?
父親は現場から立ち去る時、時計回りに一度回り、そのあと反時計回りに階段を下りていく。これはどういう意味か?
地下室での父親、娘については「ギジョンのことを思うと涙が出るが」だけしか言わない。終始娘に冷たい演出にはどんな意味があるのか?
最後のシーン、家には2人しかいないはずなのに、なぜ靴下は3足もしくはそれ以上干してあるのか?
そのシーンでカメラが上から下へ、音楽が高音から低音へ流れていく演出の意味は何か?
なぜ冬の夜で終わるのか?
エンドロールで初めに流れる音楽が、映画冒頭で流れる音楽と同じなのには何か意味があるのか?
エンドロール2曲目の歌詞、「赤い右の頬に雨が降る」(だったっけ?)とは泣くという意味か?なぜここに来て泣くのか?またなぜ雨が降るという表現なのか?
エンドロールの前までで物語は終わっているとみてよいのか?それともそれ以降も解釈の対象か?
Wikipedia 曰く、完全なバッドエンド。ということはエンドロール以降は解釈の対象じゃない。
パク社長の奥様最高!!
とまぁ、まとめてみましたが、内心「ちゃんと鑑賞できてるのかなぁ?」と不安です。アカデミーと芥川を理解するにはまだまだなようです。(純文学って何ぞや?)
それではブリィ~リアントな皆様、スィ~ユ~ネクストタァ~イム!