愛情のある意見だって気づいたら受け入れることができた
みなさんは、大人になってから誰かに本気で注意されたことってあるだろうか?
私はつい先日、上司とディレクターと話していてそれを体験した。
いただいた沢山の助言の中に、半年前も一年前も、共通して指摘されてる項目があった。
「清水さん、注意された後に感情的な反応をすることがとても多く見受けられますが、自覚していますか? このままだと、作品を良くするための助言を誰も言ってくれなくなるので、本当に、今気付いて、気をつけた方がいいですよ。」
あ、、、、、まただ。また同じことを言われてしまった。まだ治っていないんだ。1年間、わたし何も成長してないじゃん。どうしよう。。。
指摘された瞬間の私の顔は焦りと恥ずかしさと動揺がひしめき合って、多分ものすごく歪んでいた。
そこからしばらく、問答が続いた。
上「もしかして、注意を受けた時、自分自身が否定されてると思ってたり、します??」
私「ああ、それはめっちゃあります。。」
上「”成果物に対する注意=自分が否定されてる”って思わないようにするのって難しいので、僕は訓練しています。相手がどんな想いでその言葉をくれているのか考える。信頼している仲間からの助言なので悪意は無いはず、と信じると、受け入れられるかな。」
私「みんなからダメなやつと思われてる気がするので、注意を受けると落ち込みます。」
デ「その思い込みはいつから?」
私「入社した時から割とあります。」
デ「もしかして清水さん、みんなからスゴい奴って思われたいっていう願望ありますか?僕、めっちゃあるんですよ。それがあるんだって認めると楽になるかも。」
こんな感じで、このトピックについてだけで20分以上、話は続いたと思う。同じことを指摘されたのと、人としての在り方に問題がある気がして、かなり落ち込んだ。一晩中、「すごい人と思われたい願望」「仲間を信頼」など、引っかかるワードがぐるぐるぐるぐる頭の中を駆け巡った。
そして、翌朝。
ふと、ベランダの鳩の鳴き声を聴きながら、昨日のやりとりで見過ごしていた上司の言葉が頭をよぎった。
「僕は、フリースペースにいる人に話しかけるのが苦手なんですよ。相手に迷惑がられる、という思い込みがある。僕はこの思い込みを直さなきゃいけない。」
あ、思い込み。一緒だ。私が持つ思い込みと形は違えど、この人にも、同じように課題としている思い込みがあるのか。。。
それを思い出した瞬間、急にぺろんと何かが剥がれた。
「何度も注意されてつらい。みんなこわい。。」
そんな、強く持ち続けていた幼稚な感情に突然違和感が生じた。
よくよく考えると、こんなに親身になって自分の話を聴いてもらう場面ってあるだろうか?上司とディレクターの二人は、超忙しいスケジュールの中で1時間も時間を割いて悩みを聴いてくれた挙句、同じ目線から、たくさん自己開示しながらアドバイスをくれたのだ。しかも何度も、あきらめずに助言してくれた。
これが、愛情じゃなくて、なんだろう?
たぶん、上司やディレクターは私に「今のアナタ、重いよ。もっと軽やかにふるまった方がパフォーマンス上がるよ?」と伝えたかったんじゃないかな。すぐ深刻になりすぎる傾向がある私にとって、ありがたすぎるアドバイスだった。
そこまで思いを巡らせて、急に後悔の気持ちが押し寄せてきた。1年前に同じ指摘を受けた時この愛情に気付いていたら、どれだけ成長できただろう。1年前の私は、「なんでこんなこと言われなきゃいけないんだ!」という恨みめいた気持ちを持ち続けていたので、何も変わらなかった。
今、気付けて良かった。原因はただの思い込み。相手がどんな想いを込めて助言をくれているのか考える。助言の裏に隠された愛情に気付くこと。
次の記事を書く時には、もっと成長して、明るい記事を書ける状態になっていたい。でも今回の気づきが、もしかしたら同じようなことで(つまり「ダメ出し=人格否定という思い込み」で)葛藤している誰かに伝わったらいいなと思ったので、共有させてほしい。
自分の中の思い込みに気付いて認める、それだけで問題の8割は解決する。これからの自己成長を楽しんでいきたいと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?