見出し画像

Web3.0がかつて描いた夢:JAPANGOが目指す日本発「分散型資本主義」への道のり

Published by JAPANGO on Dec 9, 2024


イントロダクション

<Web3.0の熱狂とのなかで>

2024年末、暗号資産市場は歴史的な転換点を迎えています。
ビットコインは10万ドルを突破し、機関投資家たちが続々と参入を表明。
かつてない規模の資金が、この新しい市場へと流れ込んでいます。
一見すると、Web3.0の未来は明るく輝いているように見えるかもしれません。

しかし、一方では以前にNFTやトークンを使ったブロックチェーンプロジェクトが次々に廃業や売却するニュースも入ってきます。
私たちは今こそ、立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。

「そもそも、なぜ私たちはWeb3.0という技術を使ってなにを追い求めていたのか」と。


<失われていく初心>

もともとWeb3.0という技術が生まれた背景には、現代の中央集権的な資本主義への深い危機感がありました。
例えば、Web2.0の巨大プラットフォーマーによる個人データの独占、富の一極集中、画一的な価値観の押し付け、など。
これらの問題は、資本市場の好況とは関係なく、むしろより深刻さを増しているともいえます。

実際、私のアメリカ人の友人の1人でGAFAで管理職として世界でもトップクラスの給料を受け取っている人も、子供は1人までしか養えないと嘆いていました。
かつて囃されたアメリカンドリームーー自分の家を持ったり、たくさんの子供に恵まれたり、といった夢の数々は、不動産価格や生活コストの高騰に伴い、アメリカの最も先進的な地域ですら消えつつあるのです。

そして、アメリカに次ぐもうひとつの経済強者、中国に目を向けてみてもインターネット産業で凄まじい成長を遂げたBATを中心とするインターネットプラットフォーマーたちが現在、大幅な人員削減をしています。
VC投資はコロナ前に比較して98%も下がりました。

高騰していた不動産を頑張って購入した若い人たちが多額の負債を負うことになり、職まで失ってしまう社会問題が発生しています。
これでは、インターネットが約束してくれたはずの「自由で開かれた世界」から遠ざかっていると言わざるを得ません。


<ブロックチェーン技術の可能性>

ブロックチェーン技術を使えば、中央集権的な管理者がいなくとも、人々が互いを信頼し、価値を交換することができます。
この技術が広く普及し始めた時、多くの人々が夢見たのは「誰もが主役になれる経済」、すなわち分散型資本主義の世界観だったのではないでしょうか。クリエイターが直接ファンとつながる。小さなコミュニティが独自の経済圏を築く。個人の価値観が尊重される世界。

しかし、その夢も皮肉なことに、気づけば投機的なマネーゲームの中に埋もれていってしまいました。
これはWeb3.0がかつて描いた未来ではなかったはずです。

だからこそ私たちはいま、原点に立ち返る必要があります。
そもそもWeb3.0という技術が本来目指していたものは、誰もが対等な立場で中央集権的な管理者に依存せず、価値を交換できる世界、個々人が自律的に経済活動を営める世界、そして何より、多様な価値観が共存する世界でした。

この理念を実現するには、単なる技術革新を超えた、より本質的な変革が必要です。
なぜなら、現在の課題は技術的な問題というより、むしろ「価値とは何か」という根本的な問いに関わってくるからです。

ここで私たちに必要なのは、経済システムそのものを再考することです。既存の資本主義は、あらゆる価値を市場価格という単一の物差しで測ろうとしますが、人々の活動や創造性、文化的な営みの価値は、本当にそれだけで測れるものなのでしょうか。

そこで注目したいのが「分散型資本主義」という考え方です。


分散型資本主義とは

<分散型資本主義の本質>

分散型資本主義の本質は「価値の創造と評価の民主化」です。
それは「経済合理性」だけで社会のリソースの配分を決めない仕組みであり、貨幣を介さない直接的な価値交換の可能性を開くものです。

現在の中央集権型資本主義では、あらゆる価値が「市場価格」というたったひとつの指標に集約され、貨幣を通じて交換することができます。
企業の価値は株価で、労働の価値は賃金で、芸術作品の価値はオークション価格で――すべてが貨幣価値に換算され、評価されています。

一方で、単一指標における貨幣を介した価値交換には大きな制約を抱えています。


<ANGOの事例>

例えば、ANGOによる空き家再生プロジェクトを考えてみましょう。

このプロジェクトでは、地域の人々に自分の時間と労力を提供し、DIYや内装作業に参加いただきます。
従来のシステムでは、この貢献に対して現金で報酬を支払うことになりますが、そこに2つの問題が立ちはだかります。

ひとつは、プロジェクト自体の予算制約。
そしてもうひとつは、公務員や兼業禁止の会社員など、金銭的報酬を受け取れない人々が参加できなくなるという制度上によるものです。

このとき、「トークン」という新しい価値交換の媒体で評価することができれば、状況は大きく変わります。
例えばANGOでは、参加者の貢献に対してトークンを付与し、そのトークンを再生後の民泊施設での宿泊権として使えるようにするのです。

これはある意味「物々交換」をデジタル上で再現していると言っても良いでしょう。
いや、私たちはそれ以上の意味を持つと考えます。

なぜなら、参加者は自分の時間と労力を、金銭価値では得られない特別な体験に直接交換しているからです。
多くの場合、この交換は参加者にとって、現金報酬以上の価値をもたらします。

また、かつての物々交換取引では、物理的な空間と時間の制約により、ご近所同士のやり取りのような小規模なものに限られていたことでしょう。
その点、Web3.0のデジタル技術は、この制約を取り払うことが可能になります。

価値交換をデジタルに記録し、トークンという形で表現することで、物理的な距離を超えた価値の循環が可能になります。
これにより、地方の空き家再生のような、金銭的リターンは大きくないものの、文化的・社会的価値の高いプロジェクトが、より大きなスケールで実現可能になるのです。

そして最後に、何よりも重要なのは、このような価値交換の仕組みがあることによって、プロジェクト全体の実現可能性が高まるのです。
空き家再生の直接的なコストが下がることによって、施設の遊休時間という未活用の価値を最大化することができるからです。
貨幣を介さない直接的な価値交換がトークンによって実現できているからこそ可能になる効率性と言えるでしょう。

このような新しい価値交換の仕組みは、既存の資本主義システムでは見過ごされてきた多くの可能性を開きます。
地方に残る古民家や伝統的な町並みは、純粋な経済合理性だけで見れば「非効率」なものかもしれません。
しかし、それらは文化的価値や歴史的価値、そして何より人々の記憶や感情という、貨幣では測れない豊かさを持っています。

分散型資本主義は、このような多面的な価値を、貨幣換算することなく、直接的に交換・循環させる仕組みを提供するのです。


<分散型資本主義の特徴>

分散型資本主義における価値評価は、複数の評価軸の共存を特徴とします。
そして、経済的価値だけでなく、文化的価値、社会的価値、環境的価値など、様々な価値基準が並列的に存在します。
それは経済合理性にとらわれず、ある取り組みが経済的には非効率でも、文化的な価値が高ければ、それは正当に評価されます。

また、価値評価の主体も分散化されます。
中央の権威や専門家だけでなく、その価値に関わる様々なステークホルダーが評価に参加します。
例えば、伝統工芸品の価値は、作り手、使い手、地域住民、文化研究者など、多様な視点から評価されます。

そして、この価値評価は固定的なものではなく、社会の需要や認識の変化に応じて柔軟に更新されていきます。
このような動的な価値更新の仕組みこそが民主的な表現であり、分散型資本主義の特徴のひとつと言えるでしょう。
トップダウン型のルールや規制によって命令実行構造の会社とは大きく違うところです。


<日本には多様な価値観を受け入れる土壌がある>

日本の地方では昔から独自に形成されてきた文化と価値観があり、それらは経済合理性だけでは評価できないものばかりです。

例えば、日本には古くから、「結(ゆい)」のような互助システムや、「講」という資金融通の仕組みがありました。
そして、匠のモノ作り文化もまた経済合理性で物の品質を決めるのではなく、常に最高のモノをお客様に提供する考え方も産業的に根付いています。

また、「株」の概念も、単なる所有権ではなく、コミュニティへの参加権として機能していた歴史がありました。
これらは、まさに分散型の価値評価・交換システムの先駆けといえるでしょう。

この背景には、日本特有の「経済合理性だけでは計り得ない価値観」があります。

例えば、行列のできるラーメン店が利益を追求せず、目の前の常連客の方に美味しい一杯を届けることに専念すること、すなわち規模拡大を敢えて選択しないような行動は、例え短期的な収益性の観点からは非効率と評価されようとも、それでも決してこの行動が「評価されない行動」と判断されるべきではないと考えます。

日本の優秀なマンガやアニメのクリエーターたちは、自らの芸術家としてのビジョンを実現するために、とても低い収入で働き、そして世界最高品質の作品を世の中に発信しています。
そこには品質へのこだわり、顧客との関係性、職人としての誇りなど、貨幣価値では測れない価値基準が確かに存在しているのです。

このように、日本には独自の価値観と交換の仕組みが存在してきました。
では、グローバル化とデジタル化が進む現代において、これらの仕組みをどのように継承し、発展させていけばよいのでしょうか。


<テクノロジーによる伝統的価値の継承と発展:
分散型資本主義とブロックチェーンの関わり>

私たちがいま直面している課題は、いかにして伝統的な価値交換の知恵を、現代のテクノロジーによって再構築できるかということです。

これまでの資本主義社会において、社会全体のリソース配分は主に「価格」というシグナルによって制御されてきました。
この価格シグナルを通じて、必要な場所に必要なリソースが流れ込む仕組みが形成され、その配分の中心的な役割を担ってきたのが金融業でした。
この仕組みは、確かにある程度の柔軟性と効率性を実現し、中央集権的な組織によって大規模な社会システムを運営することを可能にしてきました。

しかし、この価格シグナルによるリソース配分には重大な限界があります。
それは、すべてが経済合理性という単一の物差しで測られるということです。
世の中には、特定の個人やコミュニティにとって大きな価値があるものの、従来の経済システムでは価格として表現できない、あるいは利益に直結しない価値が数多く存在します。
伝統文化の継承、地域コミュニティの絆、環境保全活動など、これらは従来のシステムでは適切な評価や支援を受けることが困難でした。

しかし今、ブロックチェーン技術とAIの成熟により、この状況が大きく変わろうとしています。
ブロックチェーンは、信頼できる分散型の台帳として、多様な価値をトークンという形で記録し、取引することを可能にします。
これにより、小規模な経済圏でも独自の価値体系に基づいたリソース配分が可能になりました。


<AIの発展とブロックチェーンとの親和性>

さらに重要なのはAIの発展です。従来、リソース配分の最適化や市場分析には、大規模な組織と豊富なリソース、専門的な知識が必要でした。
しかし、AIの発展により、小規模なコミュニティでも高度な分析とリアルタイムの意思決定が可能になりました。AIは膨大なデータを分析し、各コミュニティの固有の価値観や需要に基づいて、最適なリソース配分を提案することができます。

ブロックチェーンとAIの組み合わせは、分散型資本主義に革新的なビジョンを提供します。
まず、従来は数値化が困難だった文化的、社会的価値を、トークンを通じて表現し、取引することが可能になります。
また、AIによる分析と意思決定支援により、小規模なコミュニティでも効率的なリソース配分が実現されます。
市場の状況や社会のニーズの変化は、AIによってリアルタイムで分析され、価値評価に反映されます。
さらには、複雑な市場分析や意思決定が、専門家でなくても行えるようになり、ひいては誰もが経済活動に参加できるようになるのです。

これらの技術的革新により、私たちは初めて、経済合理性だけに縛られない、多様な価値観に基づいた社会システムを実現する具体的な手段を手にすることになります。
小規模なコミュニティでも、独自の価値基準で経済圏を運営し、効率的にリソースを配分することが可能になります。
これは、分散型資本主義が単なる理想論ではなく、実現可能な経済システムであることを示しています。
トークンによる価値の可視化とAIによる最適化の組み合わせは、新しい形の資本主義を実現する強力な基盤となるでしょう。


分散型資本主義の未来

<個の時代の到来と人間性の回帰>

ブロックチェーンとAIがもたらす技術革新は、より本質的な社会変革の基盤となっています。
それは、個人の生産力と価値観が最大限に発揮される「個の時代」の幕開けです。
すでにその兆候は、至るところで見られています。

例えばテイラー・スイフトおよび彼女を支える小さなチームは、現在一国のGDPに影響を与えるほどの経済効果を生み出すことが可能になっています。
また、画像生成AI企業のスタートアップ、Midjourneyはわずか11人の正社員でユニコーン企業へと成長しました。
これは単なる例外的な成功事例ではなく、新しい時代の典型的な姿を示唆しています。

生成AIの登場もまた、世の中を大きく変えることでしょう。
まず、インターネット世界のインフラやサービスが急速にコモディティ化します。
そして、これまで大企業や専門家だけが持ち得たアルゴリズムやビジネスインテリジェンスまでもが、誰もが利用可能な共通基盤となることでしょう。
これは人類の歴史上、類を見ない規模で個人へのエンパワーメントが実現することを意味します。

もはや個人は、大きな組織の歯車のひとつではありません。
それぞれが独立した価値生産者として、かつてない規模の経済価値を生み出すことが可能になっています。
そして、小規模な経済圏であっても、以前とは比較にならないほどの経済的インパクトを持つことができるのです。

私たちが経済合理性の追求から解放され、生産性の向上と価値創造の容易さを獲得したのち、問われるのはより本質的な問いです。
すなわち「私たちは何のために働くか」ということです。

その答えとして浮かび上がってくるのは、実は極めて人間的な価値観です。
本当に美味しい食事を楽しむこと、心に残る体験をすること、大切な人々との時間を過ごすこと。
これらは必ずしも経済合理性では説明できませんが、人生を豊かにする本質的な価値を持っています。

このようにテクノロジーの進化は、一見すると矛盾する二つの方向性を同時に実現しようとしています。
一方では個人の経済的な力を空前の規模にまで高めようとしているのに対し、もう一方では経済合理性を超えた、より人間的な価値の追求を可能にしようとしています。

これが、分散型資本主義の実現された世界だと考えています。

それは、効率や利益だけを追求する従来の資本主義でもなく、とはいえ経済的価値を無視した理想論でもない新たな主義です。
個人の経済的自立と人間的価値の追求が、高次で調和する新しい社会システムです。

テクノロジーは、私たちをさらなる効率化や経済成長の追求に駆り立てるのではなく、むしろ本来の人間性を取り戻すための手段として機能することでしょう。
そこでは、小さなコミュニティの中で育まれる関係性や、日々の何気ない幸せが、かけがえのない価値として認識されます。
まさに、日本が長年にわたって育んできた価値観が、新しいテクノロジーと結びつくことで、世界に普遍的な意味を持ち始めるのです。


<地方創生との融合>

日本の地方には、経済合理性では説明できない価値が数多く残されています。
例えば、日本各地に広がる棚田の風景。
幾重にも重なる水田は、数百年の時を経て、人々の手によって築かれ、守られてきました。
純粋な経済合理性で見れば、生産されるコメの量と必要な労力を考えると、これらの棚田は「非効率」なものかもしれません。

しかし、その価値は単なる米の生産量では測れません。
棚田は、地域の文化や歴史を体現し、環境保全に貢献し、人々の記憶や感情と深く結びついています。
春の田植え、夏の緑、秋の黄金色の稲穂。
そこには、季節の移ろいとともに紡がれる人々の物語があります。
地域の祭りや行事も、この農業のリズムと共に営まれてきました。

このような価値観は、実は日本の地方に数多く存在します。
古い町並み、伝統工芸、地域の祭り。
これらは、経済合理性だけでは存続が難しいものばかりです。
しかし、地方の人々は、何百年もの間、経済的価値と文化的価値を巧みにバランスを取りながら、これらを守り続けてきました。

興味深いことに、情報技術と生産技術が飛躍的に発展し、あらゆるものが経済合理性で測られるようになった現代において、かえってこのような「人間らしい価値」の重要性が再認識され始めています。
それは、デジタル化が進めば進むほど、人々が本質的な人間らしさを求めるようになるという、ある種の逆説的な現象かもしれません。

スティーブ・ジョブズをはじめとする多くのテクノロジー企業のパイオニアたちが日本に魅了されたのも、まさにこの点にあったのではないでしょうか。
彼らは禅の思想や日本の美意識に深い関心を示し、しばしば日本を訪れては、その経験からインスピレーションを得ていました。
最先端のテクノロジーを追求する一方で、人間の本質的な価値を見失わない。
この微妙なバランス感覚こそ、日本の地方に脈々と受け継がれてきた知恵だったのです。


<世界に通用するモデルとしての日本型の分散型資本主義>

かつて日本は、アメリカ型の経済モデルを追いかけることで高度経済成長を遂げました。
しかし今、Web2.0時代の中央集権的資本主義において、もはや日本は中国やアメリカに追いつくことはできないでしょう。
それは単なる経済力の差ではありません。
より本質的な問題として、その追従自体が日本の持つ独自の価値を失わせることになるからです。

この点を端的に示す例が、決済システムを巡る状況です。
よく日本は、中国と比較して電子決済の普及が遅れていると指摘されます。
確かに、数字の上では日本の電子決済比率は中国に大きく後れを取っています。
しかし、興味深いことに、最先端の電子決済が当たり前となっている中国からの観光客が、オンライン予約を受け付けておらず、かつ現金決済しか受け付けない日本の老舗料理屋に群がる光景が見られるのです。

これは単なる観光客の珍しさ好みではありません。
ここには重要な示唆が含まれています。
人々の心に本当に響くのは、予約や支払い手段の利便性ではなく、料理の味わい、店主の心意気、そこでしか味わえない特別な体験といった、きわめてアナログな価値なのです。
むしろ、現金という「不便」な決済手段が、その体験をより特別なものにしている面すらあるでしょう。

このような現象は、効率化やデジタル化が必ずしも価値の向上につながらないことを示しています。
時として、経済合理性から見れば「非効率」な要素こそが、体験の本質的な価値を形作ることがあるのです。
日本の多くの伝統的な商店や職人が、最新の予約システムや決済システムの導入や効率化を躊躇するのも、それが自分たちの大切にする価値や作法、そしてそれを理解する人に使ってほしい思いと相容れないと感じているからかもしれません。

だとすれば、日本はこうした「非効率」の中にある本質的な価値を、むしろ積極的に評価し、活かしていくべきではないでしょうか。
実際、世界中の人々のデジタル空間で過ごす時間が長くなるほど、このようなアナログな価値、人間的な触れ合い、手間と暇をかけた体験へのニーズは、むしろ高まっていくように思われます。

日本型の分散型資本主義は、効率や利便性だけを追求するのではなく、時には「非効率」や「不便」さえも、人間的な価値として積極的に評価する経済システムです。
例えば、老舗料理屋の提供する体験を、単なるサービスとしてではなく、文化的価値の継承として捉え、適切に評価し、支援する仕組みを作る。
あるいは、職人の技や商人の心意気といった、数値化しづらい価値を、新しい形で経済システムに組み込んでいくことです。

このような取り組みは、現代において、むしろグローバル社会のなかで大きな競争優位性を発揮できる可能性があります。
なぜなら、世界中の人々が、効率や利便性だけではない、より深い満足や豊かさを求め始めているからです。
日本の地方に残る「非効率」な実践や価値観は、そのような普遍的な欲求に応える可能性を秘めているのです。


<日本発「分散型資本主義」への道のり>

分散型資本主義は、既存の資本主義システムを完全に置き換えるものではなく、現在の資本主義を補完し、拡張する役割を果たします。
重要なのは、この新しいシステムが私たちの社会に「選択肢」を提供することです。
効率や利益だけを追求するのではない、別の生き方、働き方、価値創造の方法が可能になることです。

この変革はすでに始まっています。
世界中で、小さなコミュニティが独自の経済圏を作り、新しい価値評価システムを実験しています。
日本の各地でも、実物資産と紐づけたトークンやコミュニティトークンの実験が行われ、徐々に成果を上げ始めています。

Web3.0が描いたかつての夢は、分散型資本主義という形で、着実に実現への道を歩み始めています。
日本は、その実現に向けて重要な示唆を提供できる国の筆頭格となることができます。
そして、テクノロジーと伝統的な知恵を組み合わせることで、より豊かで持続可能な社会への道を切り開くことができます。


私たち(JAPANGO / ANGO)について

JAPANGOとANGOは、株式会社レシカが手がける日本初の合同会社型DAOプロジェクトです。2024年4月の金商法改正を機に、私たちはブロックチェーンを活用し、分散型資本主義の実践を進めています。

ANGO - 空き家再生DAO

全国900万戸の空き家問題に取り組む日本初のDAOとして、すでに13件の物件を再生・運営しています。地域コミュニティと協力しながら、経済合理性だけでは評価されにくい地域の価値を再発見し、持続可能な形で未来へつなげています。

JAPANGO - 観光文化共創DAO

インバウンド観光における課題を、合同会社型DAOの仕組みを用いて解決する取り組みです。観光客、サービス事業者、地域住民が一つのコミュニティとして協力し合い、持続可能な観光のあり方を模索しながら、日本の魅力を再評価する分散型資本主義の実現を目指しています。

JAPANGO Discordの参加はこちら

他SNS

X: @JAPANGO_jp
Instagram: @japango.io

お問い合わせ

contact@japango.io



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集