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英霊に思いを馳せる

今回は、少し真面目。

父方の親族の話。
私の祖父は満州生まれで、終戦を迎えるまで満州国籍を有していた。終戦当時4歳だった祖父は、母(私にとっての曽祖母)に手を引かれ、幼い足取りで日本列島に帰国した。引き揚げの途中、彼が大事に大事に持っていたかりんとうを船上から海に落としたと言うこの話は私の親戚内では知れた話で、小さな伝記のように語り継がれている。祖父はかりんとうの話を、毎回毎回その時の情景を思い出すような苦しい顔で、憤懣やるかたない、悲しい表情でしていた。
幼い頃に聞いていた時はそれの意味が、海にかりんとうを落とした、という出来事になぜ祖父がそれほどにも囚われていたのかが理解できなかった。
理解できるようになってからは余計に、その話を聞くたびに、鮮明に祖父のその時の顔を思い出す。目の奥に何か苦い記憶を抱えたような顔をして、やり場のない怒りと深い悲しみをたたえていた。

ガダルカナルに、私の曽祖父はいた。1年間ガダルカナルで捕虜として捕えられ、英語ができたばかりに米軍の通訳をやらされていた。
私の曽祖母の家系の家族は全員出兵して、そのほとんどが死んだ。
曽祖父の家系は漁師で、数世代にわたり北海道でニシン漁をしていたのだが、ある年から数年にわたる不漁で生活が立ち行かなくなり、みんな満州開拓団に入る。誰も望んだわけではないのだが、生きるためにはそうするしかなかった。そして新疆(現在の長春)に引越し、終戦の時も満州で迎えた。

曽祖父はどこかのタイミングで米兵に捕まり、捕虜としてガダルカナルにいた。曽祖母と子供たちは満州にいた。
終戦のタイミングで満州へのソ連の侵略を恐れた曽祖母は、そこから一年かけて、子供を連れて日本列島を目指して必死で帰ってきた。見る目見るほど悲惨だったらしい。

曽祖父は、ガダルカナルからある時ようやく釜山まで辿り着いた。そこから舞鶴に戻り、私たちの故郷福島に帰ったらしい。どうやって帰ったのか、どれくらいかかったかは、もう当人たちはとうに死んでいるので誰も知らない。しかしそれはまあ途方もない帰路だったのだと思う。
昭和42年に、曽祖父は死ぬ。妻の曽祖母は曽祖父のことは大嫌いだったそう。祖母から当時の様子を聞くに、本当にお互いが忌んでいたらしい。
しかしこの夫婦の間には、私の祖父を含む5人の子供が産まれている。なぜか。そんなに憎み合っていたのに?
おそらく、私が推測するに曽祖父はガダルカナルで米軍に仕えていたものだから。終戦を日本で迎えておらず満州にもおらず、祖父たち家族のもとにいなかったのだから。家族から、妻から、。。。
戦争が、全てを変えてしまったのだと、思う。

8月21日に戦士した私の曽祖母のいとこ、つまり祖父の叔父は、オホーツク海で軍艦に乗ってたところを択捉で死んだそうだ。ソ連は日ソ中立条約を破棄し8月9日に参戦。15日に日本は降伏するも、ソ連は侵略を続ける。
8月21日に戦死、の意味がわかるだろうか。
祖父の叔父の、だから私にとっての曾祖叔父も、この不当な侵略の犠牲者なのである。

私の祖父が、言っていたことなのだが。
「戦争反対と叫ぶ人たちは、戦後の安保闘争に参加していた人たちは、戦争反対なんて言ってる人たちは、テレビの中にいる平和な連中だけだった、地方にそんな余裕は無かったんだ。」と。私の父によく漏らしていたらしい。
満州行ったきり帰って来ない家族、戦後に戦死した家族、父がガダルカナルで捕虜になっていて自分自身も命からがら満州から引き揚げて生きてきた中で、内地でぬくぬくと大学まで行けた人達が安保闘争なんかやってるのを、物凄く冷めた目で見ていたそうだ。

これにはさまざまな批判や、またさまざまな角度からの指摘ができると思う。
東京は戦後焼け野原となり、ひどい被害を負った。都心部よりは農村部の方が被害が少なかったのも事実である。
都市部と農村部では情報格差もあり、都市部の方がプロパガンダが広く普及していた。そのため戦争で家族を亡くした、防空壕の中で生と死の狭間を何度も経験した、そんな人たちもいれば疎開して比較的被害が少ない中で生活していた人や賄賂で戦時中は後方勤務や事務職に流れた人々もいただろう。自らも死神の1人となって敵地に踏み込んだ人もいた。
とにかくあらゆるバックグラウンドを持った人たちが、「死の恐怖と隣接していた」時間を過ごしていた人たちがその一部が、安保闘争や他の運動に参加していた事実も間違いないだろう。
しかしやはり私の祖父には、それ自体が滑稽に見えた。そんなことを言っている場合じゃなく、とにかく生きなければいけなかったのだ。政治に抗議する前に飯がないのだから。

戦争がもたらした多層的な経験は、終戦後人々の価値観に大きく作用し生き方をも変えた。戦争に翻弄された時代の人々が何を失い、何を得たのだろう。
戦後の日本の社会風潮を学ぶことによって、少しは理解することができるだろうか?現代を生きる私たちに、平和の意味を問い直す手掛かりとなるだろうか?

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