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凍りのくじら

辻村深月『凍りのくじら』より。

「後でそれが実行できる目処がなくなり、逃げることもできなくなった彼は、壊す以外にどうしたら良かったと思う?」
「挫折しなくちゃ」
(中略)
「いつも持病のせいとか、親のせいとか、自分の力ではない他のせいにしてきた。だけど、悪いのは、自分だと認めなくちゃ。全部を自分の責任だと認めて、その上で自分に実力がないんだと、そう思って諦めなくちゃならない。精一杯、本当にぎりぎりのところまでやった人にしか、諦めることなんてできない。挫折って、だから本当はすごく難しい」

私はきっと、社会人になってのいろんなことをようやくこの春、挫折できたんだと思う。
怖いものなしだった学生の自分になることはもうできないけど、それでもあの頃の武士っぽさをもう一度目指す、と心から思った。
この数年の自分はやっぱり甘かった、と心から認められた。
穏やかな心で。

「(前略)『ドラえもん』の中で描かれる教訓はのび太くんを信じた上で成り立っているよね」

「『どくさいスイッチ』は、彼がそれを後悔するという前提がなければ成り立たない道具なんだ。(後略)」

「(前略)利害関係はおろか、サディズムや凶暴性する無関係の殺人。人を人と思わない、ただそこにある手駒くらいにしか思ってない、醜い事件」

「(前略)現状が不満なのに、その原因を自分の内側に求めることができず、他に求める。そして子どもを殺したりする。自分より強そうなもののところには攻撃性が向かず、正攻法で向き合うこともしないのに、ただ攫ったり、殺したり。(攻略)」

「あの子、『どくさいスイッチ』で反省できないよ」

どくさいスイッチで反省できるうちに、
少なくとも、
人と関わることは面倒だけど悪くないなと思える感じ、
を育むこと。
そして、人と関わることで得た違和感の正体を自分と向き合うことで明らかにできるようになること。
私たちがしていくべきことはこれだ、と思う。

「欲しいものがある時は、それを言っていいんだよ」
(中略)
「痛かったら泣いて、苦しかったら、助けてって言っちゃえばいいんだよ。きっと誰かがどうにか、力を貸してくれる。もう嫌だって、逃げちゃえば、いいんだよ。そうすることだって、できるんだよ」

そうしなよ、ではなく、
そうすることだって、できるんだよ

ぎりぎりの相手を目の前にしてもなお、相手に選択肢として提示できるようになりたい。
どうしたらなれるんだろう。

「誰かと繋がりたいときは、縋りついたっていいんだよ。相手の事情なんか無視して、一緒にいたいって、それを口にしてもー」
言いながら気が付く。それが自分自身に向けての言葉なのだということに。他でもないわたしがそうしたいのだということに。
わたしが一人が怖い。誰かと生きていきたい。必要とされたいし、必要としたい。

大切な誰かに向けての必死の言葉は、
時に、いや多くの場合?、
自分への言葉だったりする。

小学校の時、教育実習にきてくれた先生が一人一人に詩を書いてくれた。オリジナルか否か、調べたことはないし、その先生の名前も顔も忘れてしまったけれど。その内容はずっと自分にある。

たき火のボクは誰かを温めるようでいて、実は一番温められているボクなんだ。

映像よりも、絵よりも、写真よりも、なによりも、
私は言葉がすきで、言葉を使っていきたいと思う由縁はこのあたりにある。

あなたの描く光はどうしてそんなに強く美しいんでしょう。

それは、暗い海の底や、遥か空の彼方の宇宙を照らす必要があるからだと。そこにいる人々を照らし、息ができるようにする。それを見た人間に、生きていくための居場所を与える。

辻村さんがありたい姿なのかな、と思う。
まだ3作品目だけど、一貫したメッセージはここにある、と感じる。
かっこいい。
すごくかっこいい。
私も違う分野でおそらく近しいことを目指している。

#辻村深月 さん

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