ぼくのメジャースプーン
辻村深月さんの『ぼくのメジャースプーン』より
「誰かが死んで、それで悲しくなって泣いてても、それは結局、その人がいなくなっちゃった自分のことがかわいそうで泣いているんだって。人間は、自分のためにしか涙が出ないんだって(後略)」
「だったら、ぼくはそれです。人が自分の身代わりになったことの責任に耐えられないから、だからです。ふみちゃんのことが、好きなんかじゃないんです」
「それの何がいけないんです」
「馬鹿ですね。責任を感じるから、自分のためにその人間が必要だから、その人が悲しいことが嫌だから。そうやって、『自分のため』の気持ちで結びつき、相手に執着する。その気持ちを、人はそれでも愛と呼ぶんです」
「自分のエゴで、自分の都合で、時に結びつき、時に離れ、互いを必要とする気持ちに名前を与えてごまかしながら、僕たち人間は発展してきた。ずっとそれが繰り返されてきた。今、小さなあなたが一人きりで責任を感じて泣くことは何もないんですよ。ーふみちゃんが悲しいことが、苦しいことが、本当に嫌だったんでしょう?それを愛と呼んで何がいけないんですか」
やっと思いきり泣けた。
涙が、いっぱい、でた。
気付くと忍び寄ってくる影に気が付いても、上を向かなきゃ、と向き合わなくて。
過集中のブレーキがきかなくなっていた。
分からなかったんじゃない。
自分への疑念が晴れなかったんだ。
最後のとき。これまでの一つ一つ。
それらはすべて自己満足で、
酷いもので、
だから、だったのではないか。
自分の気持ちは、愛ではなかったのかもしれない。
そう思うと心がぎゅうぎゅうして、
いたたまれなくて、
つめたくて。
秋先生、ありがとう。
最高のお祝いになりました。