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最後の4行読めば問題無いよ。

怨憎会苦
という言葉は仏教の言葉で、

人生では避けられない苦しみ、
四苦八苦の中のひとつです。

自分が忌み嫌い、会いたくない人にも出会わなければいけない苦しみ。

今、私がぶち当たっている「苦」がこれである。
そもそもこの言葉に出会ったのが、とある人物に対してのみ抱く嫌悪感だった。
今、私が耐えられない嫌悪感という感情を抱くのはその人物と関わっている時しか無い。

私は穏やかで優しくありたいのに相手の嫌な部分を見ると攻撃的な嫌悪感が溢れて仕方がない。
その相手は100%悪人では無いし、良い所も有るし感謝したり凄いなと思う部分も有るし、嫌な所が出ていなければ普通に接する事が出来る。

それなのに嫌な所が見えた途端にどうしようもなく溢れてしまう嫌悪感。
醜い心を鎮めたい、このような優しくない感情が湧き出てくる自分は器が小さく人より劣っている。
性格の悪い醜い部分が自分の本性なのではないか…。

イヤだなー怖いな~理想の自分とかけ離れてるな~

…そうか!これは私が成長する切っ掛けであり心の修行なのだわ!
という事で心を穏やかに保つ方法として科学的にマインドフルネスが有効と知ればそれをコツコツと数年間行い、人間心理を学び、話し方、アサーションを学び、今は仏教にも触れて心穏やかな日々が増えていき、プライベートでの人との関わりやお客さんとの関係の中で幸せを感じる事も増えてきて、まだまだ至らない所があるものの、数年前の自分よりも優しい人間に近付いていると感じる事も多くなった。

しかし、問題は解決しなかった。
その相手の前ではその優しさがまったく機能しないのだ。
たまに上手く感情を制御出来た!と思える時が有るものの、それは抑え込んでいるだけでかなり心の負担になり、制御は不安定。

…何でこの人の前では嫌な自分が出て来るの…
さらなる疑問を解消すべく知識を漁っていた時に出会ったのが、四苦八苦の中の怨憎会苦という釈迦の教えだ。

助けてお釈迦様…!という事で飛び付いた私に
「そういう人からは離れなさい」
と。

もともと根底には「嫌なら自分がその環境から抜け出せば良いのにそこから離れないのは自分の責任だ。」と言う考え方は持っていたので、いよいよ環境を変えるぞと動き出した矢先の事だった。

そしてこのタイミングでの
「離れなさい」
はすんなりと受け入れる事が出来た。
そして今こそ思える。

「怨憎会苦」これがあったから一歩踏み出せたのは確か。

かなり要領が悪くて遠回りをした気はするけれど、
この苦しみに出会っていなければぬるま湯の中でずっと甘えていただろう。

むしろ逆に出会ってくれて有り難う。
うーん…こんなに特殊な人物に当たらなくても良かったのでは?とは思いますが、人間として未熟な私にはこれくらい厳しくしとかないといけないんでしょう…。


と言う事で独立してリラクゼーションサロン開業します。ワクワク100%、不安100%の合計200%であわあわしてます。もう後戻り出来ない!
詳細はまた後日。

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