偽善か
信号待ちをしている時に、横断歩道の向こう側で自転車の荷台から段ボールを落としてしまって困っているご婦人を見ました。
信号が変わって横断歩道を歩き出した頃には、その人は自転車を止めて段ボールを拾おうという体勢になってました。
私と連れだっていた人は、目の前の出来事に全く無関心で、話に夢中なまま通り過ぎようとしてました。
「ちょっと待って」と話を止めてご婦人の手助けをすることもできたのに、私は目をやるだけで通り過ぎてしまいました。
“困っている人を助ける”
偽善かもしれないけれども、さっと手を貸せる人になれたならば…
そうは思うのだけれど、その行為が“お節介”なのかもしれないという思いも頭を過り動けなかった。
日常にあるちょっとした、どうでもよい場面に過ぎない。全ての人に優しくできる“良い人”では私はない。他人にとって良いと映るか悪いと映るかは放っておこうと。なんのかんので「自分はこうする方が好き」と思える方を選んでいるんだなと。それでいいよねと。
そんな風に思えるようになってきた。
他者の意見を尊重し過ぎない“自分軸”を待ち続ける。それを意識することは、私にとって大事にしたいことである。