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あれから一年。

あっちゃんがいなくなって、一年。
10月19日の一周忌にあたって用意されたWEB献花で、私が選んだのは真紅の薔薇。

ちょうど写真の前に飾っていたのも赤い薔薇だった。
他の場所に生けていたものはとっくに萎れたのに、この1本だけ今も元気。

***

1年前の10月19日。
まだ何も知らず、元気になったあっちゃんにすぐに会えると信じて、ただ無事を祈っていた。
時折浮かぶ漠然とした不安から目を逸らして、見つけた狂い咲きの桜に「これは吉兆。きっと大丈夫。」と縋るように過ごした数日。

10月24日に届いた「大切なお知らせ」というタイトルのLINEを一人で開かずにすんだ(ちょうどお魚さんと一緒にいた)ことは、不幸中の幸いだった…と改めて思う。あの衝撃を一人で受け止めることを考えただけで、今でも胸が苦しくて痛くなる。

もう1年経ったなんて嘘みたいだ。
こんなに立ち直れないなんて思ってもいなかった。

信じられないのに、胸が潰れるほど悲しくて。
泣いても泣いても涙は涸れなくて。
一人になると泣いてばかりで、数ヶ月があっという間に過ぎた。

少しずつ泣かない時間が増えたけれど、歌声にも映像にも触れられなくて。
あっちゃんが遺したものを大切にしたいのに、できない自分が歯がゆくて。進み続ける4人を応援したいのに、ついていけないのが情けなくて。

年末の武道館「バクチク現象-2023-」で目の当たりにした「あっちゃんがセンターにいない」「もうこれから新しいあっちゃんを見ることは二度とない」という現実にじわじわと侵食されて、再び悲しみの底に落ちた。
時間が経つにつれ、悲しみがちっとも癒えない(どころか深くなる)ことを誰にも言えなくて、閉じこもって、ここで呟くことしかできなかった。

少し気持ちが上向きになった頃、闘病中だった義妹が亡くなった。
生きること、死ぬこと。幸せとは。人生とは。
いろんなことを考えた。

「今ある幸せ」は奇跡のようなもの。ありがたいこと。
そう思うのに、未来への希望や夢なんて微塵も浮かばないし、あっちゃんがいない世界で生き続ける意味もわからなかった。
早くあっちゃんのところに行きたい。代わりに私が向こうに行けたらよかったのに。……そんなことばかり思っていた。

生きる気力を失って、何をしても虚しくて。
なのにちゃんとお腹はすくし、笑うことだってできる。
日常は続いて、体は”生きること”を選択し続ける。

そうして毎日を過ごすうち、「今はもう、生きているだけで十分なんじゃないかな。あの日からとりあえずここまで生きてきただけで、すごいんじゃないかな。」そう思うようになった。

***

あっちゃんが遺したものだから、ちゃんと観なくちゃ。って真剣に向き合いすぎるから、悲しくて痛くて泣くのかもしれない。
そう思って、以前のように流しっぱなしでちょっと雑(?)に映像や音源に触れてみた。

そうしたら思ったほど苦しくないし、そんなに泣かないし、なんなら一緒に口ずさめる曲すらある。
大切だから。大好きだから。って大事にしすぎて、自分で自分を追い詰めていたみたいだ。

1日中、馬鹿みたいにBUCK-TICK流しっぱなしにしてた1年前に戻ったみたいで。でもふと耳に入るフレーズや声が、あの頃とは違う重さや意味を持って胸に迫ってきて。
また聴けて嬉しい、でも寂しい、愛おしい…が入り混じった、なんとも言えない気持ちになる。

切り裂かれるような胸の痛み、絶望。
悲しすぎて、心が壊れそうになったこと。
そんな中、離れていても寄り添い合える友人がいたこと。

心と体が密接に連動していること。
心と体が分離して命を守ろうとすること。

愛おしさと同時に湧き上がる寂しさと虚しさ。
決して消えることのない喪失感。
それでも「大好きだ」って思う、消えない気持ち。

どんな深い悲しみの中でも、肉体は生きようとし続ける。
生きてさえいれば、ゆっくりと癒えていくものがあるということ。
意味があろうとなかろうと、何が出来ようと出来まいと、どうでもいい。
ただ「生きている」そのこと自体が、奇跡。

どれも、この悲しみの中であっちゃんが教えてくれたこと。
全部全部あっちゃんを好きになったから、知ることができたこと。
肉体を失ってなお、たくさんのことを教えてくれる愛しい人。

ありがとう。
あっちゃんに出会えてよかったよ。
でも、本当はもっともっと生きていてほしかったよ。
変わり続けるあっちゃんを、ずっとずっと見つめていたかったよ。
今までも、これからも、変わらずずっと大好きだよ。

消えることのない痛みも虚しさも、愛おしさの証。
だから、悼みながら、慈しみながら、日々を重ねよう。
いつかあっちゃんに会えるその日まで。

***

あっちゃん、今年も同じ場所に桜が咲いていたよ。
歩みは遅くても、私は私の人生を生きていくから、見守っていてね。

何が起きようと、どんな心持ちでいようと、季節は巡り、花は咲いて散る。この世は無常で、非情で、美しい。


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