名前のない珈琲〜むすんで、ひらいて
久しぶりに、珈琲くるるさんの珈琲を注文しました。
あの日から悲しみの中をぐるぐると漂ったまま、「サヨナラ」なんて到底言えそうにない自分のために。なにか区切りがつけばいい、と祈るような気持ちで。
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「名前のない珈琲」。
封を切って立ち昇ってきたのは、焦げたカラメルみたいな苦い香り。
深く吸い込んだら、仄かに甘い香りがした。
その甘さに触れた途端、涙が溢れた。
豆を計りながら、挽きながら、お湯を注ぎながら。
涙はとめどなく流れ続けた。
あっちゃんの訃報以来、私は「感じる」のが怖かった。
未だ涙は枯れなくて、喪失感と悲しみに押し潰されてしまいそうで。
姿を見ても、声を聴いても、胸が痛くて、苦しくて。
もう何も感じたくなくて、悲しみ以外の感覚や感情を締め出した。
心の扉を閉じて、想いを言葉にすることを諦めた。
そのことに気づかないまま、日々をやり過ごしていた。
珈琲の香りは、固く閉じていた私の心の扉をそっと叩いた。
閉じていた五感をひらき、感じることへの恐怖、終わらない悲しみの辛さ、悲しんでばかりいることへの罪悪感を浮かび上がらせて、それでもいいのだ。と包みこんでくれた。
泣きじゃくりながら握りしめたカップの温かさが、心と体を緩めてくれた。
苦みと酸味の奥に感じた甘さは、暗闇で見つけた光みたいだった。
(暗闇で見つけた光。それは11年前あっちゃんに感じたことと同じで、また涙が止まらなくなった。)
泣いてばかりだと、あっちゃん心配するかもしれないけど。
今は泣いて、泣いて、悲しんで、悲しみ切るね。
いつかきっと涙は枯れるし、あっちゃんのことを笑って話せる日が来るから、その日を信じて進んでいくよ。…そう思って過ごしていたけれど。
たとえ涙が枯れなくたって、笑って話せる日が来なくたって、いいんじゃないかな。今はまだ何もやる気になれないし、夢とか希望とかわかんなくなって、生きてる意味なんてない気がして消えちゃいたい。って思ったりするけど。多分これからもあっちゃんに「さよなら」なんて言えないし、言わないけど、仕方ないよね。
だって、私にとってあっちゃんは、それほどまでに大きくてかけがえのない存在なんだもの。改めてそう思ったら少しだけ楽になった。
同じ悲しみを抱えた人と心をむすんで。
人の優しさや世界の美しさに心をひらいて。
大好きなあっちゃんの不在を、存在を、あちこちに感じて。
悲しみも喪失感も私の一部にして、ゆっくり生きていこう。