新訳版一九ハ四年
5月の終わり頃から6月下旬まで、約1ヶ月掛かって読了。
新訳版は読みやすいと思いました。
理由は、文体と二重思考などの単語の扱いにあるのでしょう。
1回目に読んだのは旧訳で、まさに1984年頃だったと思います。
半分ぐらい読み進んだ第二部あたりから読むスピードが、上がりました。
第一部、こんな始まりだったな、
第二部、面白くなってきた、ゴールドスタインの本の内容は興味深い、
第三部、ウィンストンの変化が分かるようでいて分からない、ラストの一文は、今回も受け入れ難いものだった。
初回も2回目も読んでいて感じることに大差はなかったです。ジュリアとウィンストンの出会いに胡散臭さを感じ、ウィンストンを捕らえるためのオトリがジュリアだったと思っています。
ただ、2回目は読み始めて間もなく、現代がディストピアだと思いました。
センシティブな状況において、何もしない政府には失望すらありません。期待もしてなかったことに気がついたからです。
私たちが自由と思っていることは、本当に自由であろうか。
私の思考は本当に私のものであるか、そんなことを考えながら読んでいました。
読後に思ったことは、ユートピアは幻想でしかないのか?
感想からは離れますが、360度のスクリーンが自分の周りにあって、そこに見えるものを世界だと思っている、その中で生きている、私たちは各々が自分の物語を生きている、そう思っています。
晩年に亡くなるまでの2年ほどの間、認知症を発症した母を見ていて、私はそう思い至りました。
生前は理解不能なところの多すぎる人でしたが、見ている世界が違っていたなら当然、私とは違う物語を生きていたなら腑に落ちる、そのように理解しました。
それを踏まえて言えば、ユートピアは持てるけれど、共有出来ない、そういうものになるはずですが、2021年を始まりとした「風の時代」は、協力、共有、共存、ひと言で言えば【シェア】の時代です。
個人的には、光と愛の時間の始まりとも考えています。
ユートピアは個々の心の王国だと、そう言えるのではないでしょうか。