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夢が叶ったその果て。

ここ最近、
ブルーな気持ちから抜け出したと思っては
完全に抜けきれない日々が続いていました。

思考の変え方によって
一時的には解決する時もあるけれど
どうも根本解決には繋がっていないようです。


これはまだまだしばらく続きそうですが
ゆっくり時間をかけて自分と向き合っていくしかなさそうです。


人間は
何かに追われている時は
夢中になれるものだけど、
危機感に迫られていない状態で
必死になることは難しいと思うのです。


今が最高かと言われたらそんなことはなく
自分の好きな仕事で生計を立てられるようになりたい
という気持ちはあるものの



今の状態を続ければ
少なからず生活には困らない私は
現状に満足し、向上心が皆無となっています。


誰しもが安定を捨ててリスクを取るのは
抵抗があるものではないでしょうか。


それでも叶えたい夢がある人が
安定を捨ててリスクを取ります。
かつての自分もそうでした。


ずっと海外移住したいという夢があったからこそ
そのためにリスクを取り続けていたし
不安もあっただろうけど
それ以上に夢を実現したいという気持ちが勝っていました。


だからこそ
行動し続けることができたのだと思います。


そして今、この文を書いていて気がつきました。
この無気力の原因はどこから来るのか



それはきっと、私のずっと夢だった海外移住が
叶ってしまったからなのかもしれません。


ずっと憧れていたはずの海外生活が
自分にとっての日常になってしまった今、
私にはそれ以上に勝る夢がないのです。



もちろんやりたいことはいくつかあります。
でもそれは夢レベルまでの憧れがないので
行動に移す原動力にはなりません。



本来であれば
夢が叶ったら次の夢、また更に次の夢
となるのが普通なのかもしれません。



ですが、欲のない私にとっての唯一の夢が
どんな形でもいいから
ヨーロッパで生活を送るということで
それができれば他には何も望んでないのです。


この世はたくさんのもので溢れかえっているけれど
どれにも魅力を感じず
この世にはそこまで欲しいと思えるものがないのです。



あったら便利かもしれないけど
なくても何とかなるので必要ないのです。
便利であることや豊かであることに魅力を感じないのです。



ずっと夢だった海外の
素敵な街中の小さな家で
自分の大好きな人と毎日一緒に過ごせること



それ以上の幸せがこの世にあるのでしょうか。




きっと私は次の夢ができるまで
この状態から抜け出せないのでしょう。





今までの人生で
こんなにも進んでいないことがなかったので
自分でもどうしたらいいか分からなくなっています。





何もしていないという罪悪感
だからと言って何かをする気にもなれず自己嫌悪



怠けているだけの生産性のない時間
努力せずただ生きているだけの無意味な日々




私が何もしていない間にも世界は動いていて
みんなが日々、努力し成長していて
自分だけがどんどん置いてけぼりになっているような感覚。



自分の成長を感じられないことが
これほど苦痛だとは思いませんでした。




この世はまさに人生ゲーム、



大変な思いをして働いた分、
休みの日のありがたみを感じる。


悲しいことや悪いことがある分、
嬉しいことをより嬉しいと思える。


人間として産まれた限り
必ず悪いことは起きるけれど
それを覆す以上の嬉しいことにも出逢える。
だから人生は面白い。





誰しも嫌な思いをしたくはないけれど
嫌な思いをしないと、良い思いを良いと感じる事ができない。

毎日が幸せだとそれが日常となってしまい
幸せだということに気がつけない。


だから人間は必ず悪い出来事も必要である。

そうでないと、
それは退屈な人生になってしまう。


欲しいものが何でも簡単に手に入って
何も苦労しない生活
何も不安のない将来



最初は幸せに感じるだろうが
いつしかそれが日常になった時
途端に退屈なものになる。


そしてこの世に人間として生きてきた意味を問う。
ただ生きているだけの日々。
死ぬまで永遠に暇つぶしをしなければいけない。


だからこそこの世に生を持った人間は
どうやって暇つぶしをするか
少しでも充実した人生にするか
色々考えて実行する。



人間には死というリミットがある。
これが不滅の人間になんてなったら地獄でしかない。
一生終わりのない日々を生きていくなんて御免だ。
死があってよかったと心底思う。



終わりがあるからこそ、今を尊いと思える。
終わりが見えるからこそ、今を頑張れる。


人生は
何もしないには長すぎるが
何かを成し遂げるには短すぎる。


せっかく授かったこの命を
どう生かすか殺すかは自分次第なのだ。




この世に人間として産まれてきた以上、
誰もが素晴らしい志を持っていると思う。


なぜなら人間として産まれてきた以上
誰しも必ず辛い思いをするからだ。
それでもこの世で喜びや悲しみ
そういった感情を味わってみたいと思った魂だけが
人間という肉体を授かることができ
この世で生きることを認められたんだと思う。


人間の脳は
他の虫や動物とは比べ物にならないほどの
計り知れない知能を宿しており
その知能が人間の数だけ存在している。


そんな知能を持つ人間
一人ひとりができることは無限大にあり
それがみんなで協力した際には
膨大な計り知れない能力となるのは間違いない。


それが何世代にも渡り、
時代を超えて進化し続けて今に至る。



自分がこの世に生を持った瞬間から
先人からの教えを受け学び
自分で考え発見し
よりよくしようと努力する。



人間として産まれてきた以上
すでに高次元の存在である私たちは
それ以上優劣をつけることなんてできない。


頭の良さはIQで計り知れない。
勉強はできても、絵を描くのが下手な人はいる。
運動は得意でも、音楽が苦手な人はいる。
人それぞれ得意分野が異なるからだ。



貧富の差は一つの概念に過ぎない。
お金持ちだからって幸せとは限らないことは
すでに証明されている。


けれど何かしらの基準があった方が
自分がどこにいるのか理解できるから安心できる
から基準というものが存在する。


もしこの世に基準がないと
誰しもが飽和状態になる。
何が良くて何が悪いか分からない。
自分がどこにいて何をすべきか分からない。
人と人がコミュニケーションを取るのも難しいだろう。




この世は共通認識の基準を定めることで
うまく成り立つようにできているから
誰かが勝手に基準をつけただけなのだ。



数字だって、言語だって、お金だって
みんなが共通認識できる基準があるから
その基準を元に自分の居場所や立ち位置を図ることができる。
コミュニケーションが楽になる。


言語といっても、
手を使って文字で書いたり、目で見て読んだり
口を使って話したり、耳で聞いたり
ボディランゲージだって立派な言語表現だ。
色んな表現方法で基準が様々に設けられている。




先人が作り上げてきた様々な形の基準があって
今この世はどんどん便利になっている。
だから基準というものはありがたい。




ただ、基準があるせいで優劣が生まれる。
基準より上が優で、下が劣。
人それぞれ、色んな基準に対して優劣の差がある。



ところがその中でも
地位や名誉、お金が優に値する人ほど人間として望ましい。
それが優に値するほど幸せになれる
と信じている人間が圧倒的に多いこの世。



誰もが誰にも負けない自分の超得意分野があるはずで
でもそれに気がつけないまま
生を終えてしまう人が多いのではないかと思う。


それは世間一般の地位や名誉、お金が
全体の幸せの基準になってしまっているせいで
自分の幸せの基準にすり替わってしまっている。



それが劣に値する自分は
幸せでないと思いこんでしまい
自分の優を探すことのないまま
他人の基準の中で生きている。



でも本当はそうじゃない。

人間は誰しも色んな分野で優劣を持っており
誰よりも自分が優れている優をこの世で見つけ
それを人生の中で最大限に発揮できることが
人間として生きる意味を実感する事ができ
それが何よりも幸せなことなのではないか。


人間って尊い。
生きているだけですごい。
たまには争ったり、失敗したりする。
でもそこから反省して次に活かす。
中には止まってしまったり
動き出せなくなってしまう人もいて当然だ。
でもいつかまた動き出せる時が来る。
その時までは休憩したらいい。
他の人と比べる必要はない。
だってみんな違う人間なんだから。



人間っていいな。人間でよかった。
生きるって大変だけど面白い。
みんな違ってみんないい。






とんでもなく壮大な話になってしまいましたが
今の私に必要なこと
それは
自分なりの優と夢を探し出すことみたいです。


もし毎日が快晴だったら
それが美しいと思わない
淀んだ曇りや雨の日があるから
快晴が美しいと思える



私の人生も天気みたいなものだと思って
心が曇りの日をやり過ごすしかないですね。
いつか快晴になる日を待ち望んで。




壮大な事を考えた日に観た空も壮大だった。



























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