コミュ障でもライターになれるのか
書くことが好きで、フリーライターを志しました。
人づきあいが苦手なので(子育てとの両立という問題もありましたが)、
会社に所属するのではなく、
フリーランスという働き方を選びました。
ところが、ライターって書くことと同じくらい、
場合によっては書くこと以上に、
打合せや取材、つまり人に会うことに時間を費やします。
フリーライターで在宅ワークだから、人と会わなくてすむ、というわけにはいかないのです。
どんな仕事でもコミュニケーション能力って大事なのですよね。
私の場合、とにかく人と話すのが苦手でしたが、
今では、初対面の人でも緊張せずに話せますし、
知っている人が一人もいない立食パーティでも
びくびくすることなく参加できるよになりました。
年を重ねてずうずうしくなった
(これを“おばちゃん力がついた”という)
ということもありますし、
これまで1000人とも2000人ともいえる人たちに会って
取材をしてきたから単に“慣れた”ということもあるでしょう。
最初のころは、取材前は緊張してコッチコチでしたが、
今は、「今日はどんな楽しい話が聞けるだろう」と
わくわくして出かけます。
そして、「今日も面白い話が聞けてよかった!」と
思って帰ってきます。
この、
「どんな話がきけるだろう!?」という期待は
取材をする上でとても大事だと思います。
言い換えると
“好奇心”ということになるでしょうか。
相手に対して好奇心をたぎらせ、
「聞きたい!」という気持ち全開で
取材に臨むこと。
そうすれば、まずいい感じでスタートを切れます。
取材が始まったら、
いいネタをもらうまでは帰らない、
と、食い下がること。
私は、
“どんな人でも面白いネタを持っている”
と信じています。
取材をしていて、なんかイマイチ、この人の話、面白くないなあ、
この人を取材対象としたのは間違いだったのだろうか、
と思うことが、ままあるのですが、
そんなときは、
自分の聞き方が悪いのだ、
どこかに金脈があるはず!と信じて、
あきらめずに聞き続ける。
すると、びっくりするようなネタに出会えたりするのです。
「取材上手は聞き上手」とよく言われますが、
その通りで、聞き方次第で、
その取材は面白いものにもつまらないものにもなる。
いい記事ができなかったときは、相手が悪いのではなく、
自分の聞き方が悪かったのだ、と思うことにしています。
コミュ障だった私が、
駆け出しのライターだったときにした失敗の一つは、
沈黙がこわくて、自分ばかりがしゃべってしまったこと。
取材中、相手が言い淀んで、沈黙が生まれることってよくあります。
その気まずさが耐えられなくて
「つまりこういうことですか?」みたいに
こっちが先にしゃべってしまうと、そこで終わり。
相手は何かを言おうとして言葉を探していたのかもしれないし、
考えを整理していたのかもしれない。
それを遮ってしまったら、相手は答える気をなくしてしまうのです。
その取材のときは、あとで録音データを聞くと、自分の声ばっかりで
記事を書くのにとても苦労したことを覚えています。
そのとき以来、聞き手に徹するようになりました。
「面白い!」「もっと聞きたい!」という気持ちを前面に出すと
相手もその気持ちに応えてくれます。
無理して何か話さなければ、と思わなくても、
聞いてさえいれば会話は続いていきます。
(黙って聞いているのではなくて、うなずいたり、そうですか、おもしろい!、どうして? なるほど!などの相づちは必要ですよ!)
聞き手に徹する習慣が、
取材のときだけでなく、
日常生活でも自然と身について、
気がついたら、人と話すことが怖くなくなっていました。
むしろ、人と話をして相手のことを知るのが
楽しくて仕方がなくなっていました。
で、気づいたら、コミュ障ではなくなっていました。
そんなわけで、結論。
コミュ障でもライターにはなれます。
いや、ライターをやっていたらコミュ障が治ります、
と言えましょうか。
だから、ライターになりたいけど
人と話すのが苦手だし…と悩んでいるのなら
そんなこと心配しないでチャレンジしてほしいな、と思います。