外稽古、大きな桜の木
昨日は大きな木が何本もある公園で外稽古だった。大きな桜の木と向き合うと、幹が二つに分かれていて、それぞれの幹から出る枝が、段々と折れ線グラフのようにジグザグに伸びている。枝が曲がっているところは過去に何かあったところで、曲がるたびに何らかの衝撃があったのだと伝わってきた。
枝を辿っていくと身体が疼き、枝と同じように身体が捩れそうになるのを感じながら、少しずつ木に近づく。幹のところまでくると、木肌に鱗状の木の皮がブロックのようになっている。よく見るとその中に枝にならなかった痕跡がたくさんあり、化石のように模様として残っていた。
たくさんの枝が出ようとしたけれど、そのほとんどは消えて、残ったものだけが大きな枝となったのだ気がついたら、その消えていった枝たちの霊が身体に入ってきて、彼らがもし枝となっていたらこうなっていたはずという姿がわかるような気がして、その見えない枝の形を次々と身体でトレースしていた。
さっき見ていたジグザグの枝が折れているところも、伸びる方向を変えた記憶の痕跡だということが伝わってきて、残った枝の中にある、消えた枝の記憶のようなものも空中に伸びているような気がした。
何が起こったのかその場では言葉にならなかったのだけれど、今朝目覚めた時にそのようなことが走馬灯のようによみがえってきたのだった。どうやら僕はその場では感想が言葉にならず、少し時間経ってからようやく意識に上がるようなところがあるようだ。
意識と無意識の境界を超えてつなぐのに、一度眠ることが必要なのかも知れない。これがその現場ですぐにつながるようになったら、どうなるのだろうと思いながら、こういう稽古を繰り返すことで、もしかしたら回路ができていくのかも知れないと思った。