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ヌーソロジーその2

一昨日の続きです。今日も細田奈々さんの動画を見ながら、書きはじめましたが、最後の方はかなり走ってます。^^;

宇宙のすべては双子で成り立っている

すべては双対構造でできているというのは、昨日の記事の中で最後に触れた、ハウスの構造が、「あなた」と「わたし」でできているということにも通じています。

あなたとわたしは双子であり、表と裏の関係であり、切っても切れない関係になっています。

これは此岸と彼岸でもあります。わたしが此岸にいる時、彼岸は見えませんが、必ず存在していて、裏側から支えています。

円心

「円心」という図形がありますが、この二つの円は互いに反転しています。片方の中心がもう片方の円周に位置しています。それは逆からも同じなので、互いに反転しているということになる訳です。

円心

円は常に一つしか見えていないとすると、片方が見えているときはもう片方は見えなくなっています。そう、片方は「実」で、もう片方は「虚」だということですね。

意識が見える方だとしたら、その見えない方が、素粒子の中の高次元空間であり、無意識ということになります。

意識している自分というのは、実は半分の自分なんだと言うことです。無意識と合わさって、初めて存在が可能になるということです。

「実」は「虚」の裏打ちがなければ存在できないということでもあります。このことから、AIがどんなに研究されても、そこに生命は宿らないということがわかります。生命は必ず表と裏があるからです。表だけでは、生命にはなりません。

自己と他者

この円の一方が「自己」だとするともう片方が「他者」ということになり、この二者は、互いに反転していますから、「自己」が見える時には「他者」は見えないということになり、「他者」は空間であるとなります。

自己が意識ならば、他者は空間側に回っています。

2013年以来、無意識の空間が開き始めているのだそうです。それはいわゆる反転が始まっているということを意味しています。

此岸から彼岸に渡るということでもあり、霊としての自分に気づくということでもあります。

自分の意識が素粒子空間の中に入っていくというか、そもそも人間の精神活動はこの素粒子の空間の中で行われていたのだということの発見が始まるということとも言えると思います。

その時には、すでに空間認識は変わっていますし、人間として肉体に閉じ込められた存在ではなく、霊としての自由度を得ているということになりますから、存在の意味はまるで違うものになっているのかもしれません。

そういうヒトが作る宇宙はどんな形を見せてくれるでしょう。もし見ることができるなら、それを見たいと思います。

この宇宙に存在する、すべての物質は自己と他者の出会いから生まれたものだと言えるので、すべては記憶であると言えるのだと思います。

それがアカシックであり、宇宙の軌跡であり、その主体者が自分であるということに気がつくということが、これから起こってくるのだろうと思います。

交替化

このことを象徴的に記録されたものが、国津神と天津神の国譲り神話であろうと思います。

これは自己と他者がその役割を交替化したときの記憶であり、記録なのでしょう。自己は空間側に回り、空間は自己側に回り、お互いの位置を交替するということです。

そうして、交替するたびに、この宇宙はより豊かな物質を生み出してきたということのようです。交替のたびに、宇宙に安定して存在できる元素の数が増えて、物質的な豊かさは増してきたということです。

シュタイナーの霊視した過去の宇宙の描写では、何かはっきりしないドロドロした宇宙が描写されていたりしますが、それはまだ元素の数が少なかった時代の宇宙だったからなのかもしれません。

今は自然界に存在する元素は元素No.92のウランが最も重たい元素ですが、次の宇宙では元素の数がさらに14個増えて、今よりももっと彩り豊かな宇宙になるのではないかと想像されます。

そのように自己と他者という、双対の神が交互に役割を交替しながら、年輪のように、階層的に創造してきたのが、この宇宙であり、物質世界であるとヌーソロジーは言っています。

空間認識のトリック

26000年という周期での円環ということなのだそうです。今はちょうどその切り替えのタイミングにあたるようで、多くの今を生きる人々にとっては、過酷とも言えますが、千載一遇のすごいタイミングで今を生きているとも言える訳です。

どのように受け止めて、どのように生きていくか、もちろん人それぞれの選択でいいのですが、自分らしく生きられて、満足できたら最高です。

その時に空間認識のトリックをくぐり抜けて、本来の自己の姿を見出せたら、さらに良いだろうと思います。

まあ、そんなタイミングなもので、世の中も混乱していますが、今が大きなスパンでの交替化の時代であると知り、自分って何者なのかというパズルを解けたならば、見えてくる世界があるということかなと、個人的には思っています。

ヌーソロジーの本として押さえておきたいのはこの「シリウス革命」ですね。僕は4回くらい読んだかな。とてもおもしろいです。

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最後に

途方もなく壮大な話になりましたが、僕の中では、もしかしたらそういうことなのかもという感覚があります。

この宇宙の創造にみなが関わっていて、今も創造のプロセスの途中なのだとしたら、星のシステムが、人間の生活だとか、性格だとか、行動パターンとか、縁とか、タイミングとかに、大きく影響をするということの意味もわかります。

星を探求することで、そのような壮大なドラマの痕跡を発見したり、自分って何ものなのというような、より大きなテーマについて、何らかの鍵であるとか、場合によっては答えを見いだせるような気もします。

そして、何度かテーマとして扱ってきましたが、ハウスを構造的に見たときに、自己と他者の回転対称性が見られることとか、右回りのカルディリアン・オーダーと左回りのナチュラル・ホイールの2種類の見方があることが興味深いです。

より古いのは、カルディリアン・オーダーですから、もしかしたら、こちらの周り方の方が、より精神的な方向で、ナチュラル・ホイールの方が物質的なのではないかという気がします。

今は、カルディリアン・オーダーで見るのは主流ではないというのも、人間が空間認識を見いだせなくなっている理由ではないかというようなことも考えたりします。なので、その両方の周り方をチェックしながら、比較しながら、より本質的なところまで、見れるようになっていけたらいいなと思っています。

さて、細田奈々さんの動画はその3まであるようなので、それが出たら、それを見ながら、ヌーソロジーその3を書くかも知れません。さて、どうなるでしょう。(o^^o)

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