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最上和子さんの舞踏公演「オブスクラ 舞の発生」を見て

昨日の最上さんの舞踏を反芻しながら今日は過ごしていました。本当に衝撃的と言っても過言ではない舞台でした。

後半現れた「別のもの」はまさに稀人であり、それは何万年もの間忘れ去られたように見えて、実は密かに凝縮し、熟成し、老成していった、ある種の化身とでもいうような存在でした。

それが立ち現れたのは、真っ暗だった舞台の窓が開かれ、そこから差し込む太陽の光と、今この瞬間の空気と雑踏の音が入り込んできて、いきなり今の、現代の東京になった時に、そこに佇む最上さんはもはや先ほどまでの最上さんではなく、恐ろしいほどに古く気高い孤高の稀人として熟成されていたのでした。

思えば、真っ暗な中で見えないはずの、床に横たわった最上さんが、雨に打たれ嵐に晒される中、既に微かに発光し始めていたのかも知れません。熟成するとは発酵することであり、それは発光を伴うというようなことを思っていたところに、先に書いたように突然窓が開き始め、外からの、全く予期しなかった角度からの、全く不意をつかれたタイミングで、次元を超える扉が開かれたようでした。

垂直軸というものがどういうことなのか、見事に表現されていたと言うこともできるかも知れません。そのオブスクラ的演出は、たしかに演出なのだけれど、その見事さはすでに魔術の域に達していたと言っていいかも知れません。

それまでの古の出来事を思わせる舞があり、その後の長い長い雨と嵐のなか、何万年もの暗闇が続いていたからこそ、その突然のオブスクラは衝撃的でありました。

東京の強い西陽が差し込んできた舞台の、さらに奥の方に佇む最上さんは、光が増すに従ってどんどん姿が変わっていきました。まさに若かった木が古い老木へと変化していくようでもあり、人間が人間ではない何者かに変化していく過程を目撃していたようにも思います。その変容のプロセスを見ながら僕は本当に戦慄していました。

やがてその「別のもの」と化した最上さんは舞台の床を温め始めた太陽の光の方に歩みを進められて、本当にゆっくりとひと回りされました。その動きは他に例えようがないほどに神々しくて、とてつもないエネルギーが動いているのを感じました。

震える最上さんの姿を見ながら、感極まる最上さんの震えを感じながら、何やら得体の知れない喜びが湧き上がってきて、僕も震えながら熱くなる目頭を感じながら、いつまでもこの時間が続いてほしいと願っていました。

終わった後のトークショーにおいても、みな興奮冷めやらず、そこで起こった出来事に対して、断片的に思い出される感動をシェアしていたという感じだったでしょうか。

一夜明けて、たくさんの方がXやFacebookで感想をアップされていて、それらを読みながら、ああそうだったとか、その感覚わかるとか、思いながら探しては読んでいきました。

そうして夜になって、ようやくこうして少しまとまって感想を書けるところまで来たという感じです。

思うに、とても深いところで、みな何かが起こってしまったのかも知れません。そのくらいに強烈な体験となった、昨日の舞踏公演でした。

この公演はアーカイブ配信もあります。カメラという審神者が、この日の巫女の舞とストライプスペースを通して、何をどのように記録したのか、そこにも興味ありますね。

こちらのサイトからアーカイブ視聴のチケットも買えますので、ぜひご覧になってください。

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