なぜ時空の外に出る必要があるのか!
TOLAND VLOGさんの動画を見ました。
「日本人の精神、なぜ壊されてしまったのか」
あらためて、こういう角度から見る歴史はおもしろいなと思います。
信長や秀吉や家康が、どのような視点で外国との関係を見ていたのか、実際にスペインやポルトガルが何を狙っていたのか、そこを俯瞰して見た後で、あらためて今という時代を見ると何か新しい感覚が生まれてくるように思います。
もし江戸幕府が鎖国を選択していなかったら、あのような濃厚な江戸文化は花開かなかったかもしれないけれど、西洋とのやりとりの継続から、アップデートし続けることができていたならば、明治維新のような大きな革命的な変化ではなく、もう少し緩やかな変化ができたのかもしれません。
閉ざすことでいっときの平和を謳歌できたけど、それゆえに黒船来航時には、大きくなったギャップに苦しみ、そのことが今にも影響として残っているということかもしれないなと思うのです。
おおらかで明るかった江戸以前の日本人というのが、本来の日本人気質と言えるのかもしれませんね。まあ、たられば言ってもしょうがないですが。。。
いずれにしても、日本だけでの独自の発展を続けることを許してくれなかったのが、この世界であり、歴史でありますから、幕末期、西洋との再会以降の日本人の悪戦苦闘というものは、人間にとっての、何かとても大事な学習の機会であり、カルマのようなものとして準備されていたものかもしれません。
そのような意味でも、グローバリズムという形での新たな黒船に再侵略されようとしているのが今の時代だと、僕には見えるので、今もまたなんらかのジャンプが求められている時なのだろうと思います。
また、さらに踏み込んでいうならば、だからこそ、今この時代に、日本にヌーソロジーのような新しい哲学体系が生まれてきたということなのかもしれないとも思うのです。
進化とは何度も対化と向き合い、それを等化していくということです。そういう意味では、日本人はまるで日本刀のように叩かれ、練られ、鍛造されてきたのかもしれません。
そこから、新しい哲学として、新しい生き方、新しい宇宙観を提示するものとしてのヌーソロジーが生まれたのは、歴史的な必然なのかもしれないなとも思います。
そもそも、時空の中で物質を追求してきたのが、人間ですから、物質についての最小単位である量子に行きつき、量子の力を利用するようにさえなったということは、ある種の壁にたどり着いたということが言えるでしょう。
だから、もう壁を超える新しいゲシュタルトが必要な時が来たし、それがヌーソロジーのいう変換人となることであると思います。
それは時空の外に出るということを、構造的に理解し、実際にそこでの活動時間が増えていくことで、何が起こるのか、ということだと思うのです。
残念ながら、時空の中での活動には可能性はないかもしれません。社会的な活動、政治に注力したとしても、人間の意識の限界が邪魔をします。
それでもあきらめずに可能性を探るならば、おそらく時空を出ることを目指すしかないのではないかとも思うのです。
だから、昨日、こちらで紹介した動画を見て、鳥肌が立ったわけです。もしかしたら、これこそが唯一の可能性ではないかと思うんですよね。
50 WAYS TO LEAVE YOUR TIME #6 (日本語字幕)