いよいよ土星が魚座に移動します
いよいよ、明日の夜22時35分に土星が水瓶座から魚座に入ります。待ちに待ったと言いますか、まぁ、少し前から僕のネイタル太陽に対してのオポジションからは外れていましたが、MCへの影響はやはり少なからずあったと思います。でも明日魚座に移ることでよりプレッシャーはなくなることになります。
なんだかんだ言いながら、動き出せないでいたんだけど、そういうことが感じられたという事だけでも、良い体験だったと思います。なかなか、星の圧力とか、こんな風に来るのかというようなことって、体験できる機会はないと思うので、しっかりとそれを感じながら、この1~2年ほどの期間過ごせたということをポジティブに受け止めたいですね。
どこかで、この日を待っていたようなところもあったので、なんだかほっとする感じでもあります。
また2月の間は舞踏の再開ということもあって、占星術に関しての準備が滞りましたが、また数日前から占星術の勉強を始めました。少しおいて、あらためて見ることで、前には感じられなかった奥行き感があります。
さきほど、エッセンシャルディグニティについて、振り返っていましたが、これらのポイントが高いということは、ある意味アクが強くなると言うことなんだなと思った次第です。点数が総じて低く、平均的な方が、よほど社会人としてはちゃんとした生き方ができるような気もします。家族や知り合いの情報を眺めながら、そんなことを思いました。
僕自身はちょっとおかしいくらいにどの惑星も品位が高いので、必然的に感受性が強すぎたり、こだわりが強すぎたり、なかなか癖のある生き方になってしまったんだなあということを思ったりもします。
そのあたり、半年くらい前にこちらの記事に書いていました。
自分の人生を振り返ってのいろんな道程を鑑みるに、あらためてこういう数値は高ければいいのではないということを思いました。
ただ、どんな人にとっても、その人の個性であるとか、どこが突出しているとか、それぞれの持ち味という物は見ることができるので、このような情報はやはり有効に使うことができるものだと思います。
できること、できないこと、整理してみようと思います。今がちょうどいいタイミングなのかも知れません。
ふとね。一年ほど前から占星術をやろうと思って本格的に取り組み始め、ある程度見えてきたところで思ったのですが、占星術の世界は何でもありという感じがあって、無理な解釈で推し進めている人がいたり、それって中世のキリスト教の弾圧の影響で入れ込まれたバグだよねというような解釈が普通に使われていたり、いろんな占星術師の方の言説を見るにつけ、なんというか、ちょっと気持ちが萎えるところがあったという事もあるんですよね。
派手な解釈の方が人気があったり、なんでもかんでもアスペクトとしたり、小さな小惑星をすごく意味を大げさに捉えていたり、無理矢理に入れ込まれた新解釈みたいなものが横行しているのを見るにつけ、なんとなく占星術そのものと言うよりも、占星術の世界と言うものに、違和感を感じるようになったというのもあるんですよね。
さて、そんな中、どうしていくかなというのが、今の現状ですが、あまり風呂敷を広げずに、エッセンシャルディグニティであるとか、大家店子のハウスルーラーシップであるとか、その人の持っているポテンシャルと、テーマに合わせてどこがポイントになるのかというような解説をしていくことはできるかなと思います。そんな感じで、あまり気張らないでぼちぼちと案内し始めるかなという感じです。
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