ヘルダーリンとアポロンとオブスクラ
今朝のポストで最上さんがヘルダーリンという作家に言及されていました。
そのヘルダーリンという人のことはほとんど知らなかったのですが、とても気になったので調べていたら「松岡正剛の千夜千冊」の文章に行き当たりました。
2007年に亡くなった山口小夜子さんに向けて、ヘルダーリンを引用して書かれたもので、それを読むことでヘルダーリンと言う人がどう言う人だったのか伝わってきたものがありました。
この中で晩年にアルプスの山の見える土地に移り住み、そこからギリシャ悲劇を書き続けたとあり、アポロンに撃たれながら、生成の中に消滅していった偉大な魂を感じました。
先日の最上さんの「オブスクラ」の舞踏公演はあまりにも神々しく、時代を超えていて、太陽の光によって舞台が永遠の中に溶けていったという点では、それに関わったすべての人たちにとって、まさにアポロンに撃たれる体験であったと言っても差し支えないのではないかという気がします。
ヘルダーリンを通して、原初舞踏がどこに向かおうとしているものなのかということが感じられて、何やら深く感じ入ってしまいました。
以下、松岡正剛さんの文章から一部抜粋しておきます。
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小夜子の最期はどうだったのか、ぼくには知る由もないんだけれど、ヘルダーリンは自分の最期を「アポロ(アポロン)に撃たれる」と言っていたようです。「アポロがわたしを撃った」と書いている。自分による自分のための予言だったようです。自分の薄明を予言したんでしょう。もしそうでないとしたら、薄明がヘルダーリンを予言した。
きっとヘルダーリンはとっくに死を知っていたんだろうと思います。だから、最期に近づくにつれて、ただギリシアの悲劇を訳しつづけ、その注釈に没頭していった。これは、「生成のなかに消滅していく」ってことです。生まれるもののなかに向かって消えていくってことでしょう。
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「オブスクラ」はアーカイブ配信されていて、10月いっぱいは見ることができるので、まだ見ていない方はぜひご覧になってみてください。
こちらから申し込めます。↓