お面を外すということ
お面を舞台の上で外すということは、昔からいつかやりたいと思っていたことの一つでした。
それを今回の踊りの中で実際にやってみたわけですが、それは思っていた以上に意味のあることだったと思います。
お面を外すことで、世界は全く変わります。物理的にも、お面をつけて踊るということは、なかなか大変なところがあるのですが、これはあまり知られていないことかもしれません。
まず何よりもお面をつけるとほとんど見えません。明かりの具合によっては全てがホワイトアウトになったり、ブラックアウトになって、全く見えず、自分が向いている方向さえわからなくなることがありえます。
そして平衡感覚が狂うので、よろけやすくなりますから、お面の踊りをやるためには、足腰も強くないといけませんし、身体の軸をしっかりと持てていないといけません。
そしてその上で大きな問題として、酸欠になるということもあります。激しい踊りの場合は、酸欠度合いがより大きくなります。
ですから、お面を外す時に物理的に起こる変化というだけで、ものすごく大きな変化になるということが言えると思います。
そして、さらにはそれに加えて、お面のキャラクターの影響もあります。なので、お面を外すということは、そのキャラクターをやめて、真の自分を曝け出し、真の自分に空気が直に触れるということになるわけです。
自分自身が成長してきた過程において、ひとりでに身につけてきた、社会的顔というものも、ある意味お面ですから、もちろんお面を外すということは、それまで演じてきた自分をやめて、本当の自分となるということを意味します。
そのような意味を含んでのお面を外すという行為なので、実際に踊りの中でお面を外していく時に起こることは、とてつもない解放感があり、初めてこの世界の光を目にしたかのような感覚がありました。
生まれて初めて見る世界と言いますか、生まれて初めて楽に呼吸ができるようなり、安定感も増し、それは、それまで知っていた世界とは、全く違う空間であり、宇宙であるという驚きであり、戦慄さえ感じるほどの変化でした。
本当に見え方がまるで変わります。見え方が変わることで、それまで見えなかったものも見えるようになるわけです。
彼岸の景色というものは、面を外さないと見ることができない領域だったと思います。そこを見てしまったからこそ、扇を手にして舞うことになるわけで、それは「我ここにあり」と宣言し、花を咲かせることであり、それは彼岸に向けてのメッセージでもあるわけです。
今回、最後までうまく踊れたとは言い切れない悔しさはありますが、やりたいことの片鱗は見せられたかなと思っています。
やったことで得た気づきは計り知れず、やはり挑戦して良かったと思っています。その上で、先ほど見た最上さんのポストの言葉が、心に沁みるので、ここにもあげておきます。