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どうすれば宇宙の外に出られるか?
子供の頃、よく遊びでやっていたのは、イメージをふくらませることでした。今から思えば、ちょっとした思考実験ですね。よく宇宙を感じながら、宇宙の果てまで自分が大きくなることをイメージしていました。
そうすれば、この宇宙を僕の意識で埋め尽くすことになるんじゃないか、宇宙で起こってることはすべてわかるんじゃないか、そんなことを夢想していたのです。
宇宙を感じることは、本当にワクワクすることでした。やがて天体望遠鏡を買ってもらった僕は、とてつもなく遠いところにある星を天体望遠鏡で眺めながら、その星と同期しているような気がしていました。
あのころ、星を見ることはそこまで行くことと同じような感覚で捉えていたかも知れません。星を呼吸していることで得られる恍惚感は今でもよく覚えています。かなり怪しい中学生だったですね。今思えば。
遠くの恒星は天体望遠鏡で見ても大きくはなりませんが、僕にとっては、それを見ることがその星と同期することだったのです。
そのことは、宇宙の果てに届き、すべてと同期していると感じることに通じていると感じていたので、とてつもない喜びを僕にもたらしました。
今あの頃のことを振り返ってみると、夜な夜な、僕がやっていたことは、宇宙になることだったと言ってもいいのではないかと思います。
それと同時に、空や天井を眺めながら、そこに現れる光のシミが、やがて曼荼羅模様になっていくのを観察することも、僕の楽しみのひとつでした。
このような子供の頃の体験がベースにあって、21歳のインドでの体験につながったのだろうと思います。
しかしながら、今から思うと、宇宙の大きさに意識を広げるということは、まだ宇宙の中にいるということなんですね。
宇宙が大きな風船だとしたら、風船の内側で、その一番外側に届いた状態というのが、僕の子供の頃の思考実験の状態だったわけですが、それはまだ宇宙の中なのです。内側の壁に到達しただけど、外には出ていないということになります。
では、宇宙の外ってどういうことだろうと思うようになりました。宇宙の中にいる限り、宇宙の外には出られないじゃないかと思ったのです。
そこで起こったことが、あのバラナシでの体験だったのだろうと今では思っています。
宇宙の外に出るためには、マクロの方向にいくら広がっても無理なのです。どんなに膨らんだとしても、常に風船の内壁を見続けることになりますからね。
では宇宙の外に出るためにはどうするのか?
それはミクロの方向に落ちていくことなのです。その方向に宇宙の外につながるポータルがあるのです。
インドで起こったことは、まさにそれだったのかも知れません。穴の中に吸い込まれるということ、そちらの方向に落ちていくということは、その時の僕にとっては恐怖体験でした。だからその経験は中途半端なものになってしまったんだなと今は思います。
今はそちらに落ちることが怖くなくなったので、意識的にそちらに入っていくというような瞑想をしていますが、それは反転という言葉を使うのが一番適切なのではないかと思っています。
ミクロの極みに落ちていくと、宇宙の外に出るのです。それは次元が違う所に出るということでもあり、その場所のことを無限遠点と言います。
ミクロの中に落ちていくと、無限遠点を発見するのです。
そして、このとてつもなく大きな宇宙だと思っていたものが、僕自身の内側の宇宙だったことを知るのです。僕の意識の位置は無限遠点です。
このことが意味するのは、僕の意識は宇宙の外側にいて、そこから宇宙を覗き込んでいるということであり、それが人間の本来の位置だという事です。
そのことに気がついた人はみな雰囲気が変わり始めます。
自分自身がマクロでありミクロであるということですから、素粒子はまさに僕自身の意識なのです。
ということはこの宇宙の中に存在する、すべての物質に僕は関与しているということがわかります。そこに意識が出た人は、物質が自らの記憶の痕跡であるということを知ることになるのです。
この位置に出た時に、初めて、宇宙の意味がわかってくるのだと思います。そして自らが宇宙を創造してきた張本人であったことを発見するということでもあります。
ここまですっきりと構造が理解できたのは、ヌーソロジーを知って、宇宙の構造についての整理ができてきたからです。
無限遠点ということの物理学的な意味を知って、それが自分が体験してきたことをそのまま上手に説明してくれていることに気がつきました。
人間として生きることの醍醐味は、宇宙の意味を解き明かすことだと思います。そういう意味では、かなりいい線きたんじゃないかなと思います。
この位置を見出すことは、いろんな苦しみから抜け出すための最も適切な方法だろうと思いますし、社会をもっとより良いものにしていくためにも必要なことだと思います。
できたら、この感覚をこれからシェアしていけたらいいなとも思っています。どういう形があり得るのかと今は模索しています。
具体的には、星を読み解くこと、ヌーソロジーの概略をわかりやすい言葉に翻訳すること、舞踏的な身体ワークを通して、無限遠点を発見する方法を構築すること、
ざっとこんな感じでしょうか? そのために今あれこれやっているのだなと思います。noteはそのためのメモでもありますね。これを書くことで、自分の中がまとまり、整理されてくるのを感じます。
これを書くことにしたのは、昨日、トートタロットの大アルカナから、一枚メッセージを引いた時に、出たのがユニバースというカードだったからというのもあると思います。
そろそろ、タイミングがきたよと言われたように感じました。すべては通じていて、同期しているということなのでしょう。
子供の頃覗いた天体望遠鏡の中の名もない恒星の光が、今でも僕の記憶の中では輝き続けていて、ありありとイメージすることができます。それはトートタロットを見た時に感じたワクワクした高揚感と同じ質のものだと思うのです。
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