悲痛の奥にあったもの
これは昨夜、寝る前に並べたスプレッドです。
1.未来 ディスク4 Power
2.現在 ソード3 Sorrow
3.過去 ディスクのエース
ディスクの4は山羊座の太陽なんですね。おおおという感じです。
前回書いた「悲痛と罪の意識を笑い飛ばす」を受けて、ここで山羊座の太陽が未来の位置に出てきたことが、とても示唆的と言いますか、なんか深いなと思います。
前回の流れでは、山羊座の権威者との間での葛藤でしたから、山羊座の権威者が守ろうとした秩序がこのディスクの4にも通じているのかも知れません。
山羊座のスクエアですから、ガチガチの山羊座社会です。しかし、考えてみたら、山羊座の人にとってはそこに秩序があり、みなが秩序を守る限りは、最高の社会がそこにあるということなのですね。
当時、先生にとっては、僕や彼女は、その安定した秩序を壊すようなことをしでかした不届き者ということだったんだろうと思います。もちろん、その人の視野、視点からはそれしか見えてないわけです。
見えていない人に、もっと成熟した視点で見て欲しいと言っても、それは無理ですよね。そう思ったときに、先生にとってもつらい時期だったんだろうということを思います。
たしかに、いろんな意味で、みんな未熟だったのですね。それが山羊座の秩序を脅かしたわけです。そして、権威者の対処法は、秩序に則って、秩序を回復させるために、悪いことをした道に外れたものとして、裁きがあったという事です。
たしかに笑い飛ばしたことで、僕の中の罪悪感はかなり薄れたと思います。軽くなりました。
しかし、ここで真ん中の現在のカード、ソードの3番を見たときに、まだ見ないといけないことがあるのだと思いました。
ソードの3はこれはライダー版でも同じですが、ハートに剣が突き刺されているもので、悲痛を表わします。
たしかに、深い悲しみと言ってもいいでしょう。未熟故に夢半ばで散っていった、たくさんのプロセスがあったことを覚えています。先生ともたくさん語り合いましたし、先生から学んだこともたくさんありました。
すべてが未熟だったわけではありません。縁あって、一緒に時間を過ごしたというだけでなく、魂と魂の触れ合いというようなことが、実際にあったと思います。しかし、だからこそ、最後にあのような形で消化不良のまま離れてしまったということも、切ない記憶として残っています。
ですから、この現在のカードが見せてくれていることは、とても大事なんだと思います。そして、罪悪感を笑い飛ばせたからこそ、ここを見ることが可能になったのだとしたら、プロセスは完璧ですね。
過去のカードのことも触れておこうと思います。
ディスクのエースです。お花のようにも見えます。芯という言葉が浮かんできます。生命の初動があったことを思い出せということかも知れません。僕自身が始めた動きの途上に今もいるわけです。これまであったすべてのイベントも、その初動から始まっていたのですね。だから、そこに戻り、そのエネルギーの源泉に触れることはとても大事なことだと思いました。
そこに触れたならば、また真ん中のハートブレイクの意味も、違った角度で見えてくる感じがします。意味のあるハートブレイクというのもあるのでしょう。ネガティブなものだから、絆創膏を貼って、穴埋めして癒やさないといけないというようなものではないと言うことを思いました。
これらはすでに神話と化しているというのは、もしかしたら本当なのかも知れません。象徴として、そのハートブレイクを持ったまま生きればいいのかも知れないと思いました。
山羊座のエネルギーを肯定することは、僕にとっての新しい未来なのかも知れません。それはプロセスであって、山羊座の段階を無視して水瓶座もないということですね。そのことに気がつく必要が、僕にはあったということなんだと思いました。
そのことがわかってくるときに、僕は自分の山羊座13°の土星のこともわかってくるのかも知れないと思います。
そう、以前どこかでも触れましたが、その山羊座の権威者の太陽は山羊座13°で、僕の土星とオーブ0°でコンジャンクトしていました。また逆に、先生の土星と木星は僕の月、牡牛座8°とコンジャンクトしていました。
そしてさらに僕の水星には先生の冥王星が乗っかっていましたから、お互い縁のある魂だったのだということは間違いないと思います。簡単なことではなかったんだなと、あらためて思います。
そのあたりは少し前に書いたものがありました。
あらためて読み直してみると、たしかにとても深いです。それだからこそ、悲しみというものも、深いのかも知れません。
そして、年齢的には土星期という所まで来た僕ですから、山羊座13°、サビアンでは「火の崇拝者」としての自分をも受け入れていくということなのかも知れないと思います。
これはたしかに、昨日罪悪感を笑い飛ばせたからこその気づきなんだろうと思いますし、やはり、動くときは動くんだと思いました。
そして今は、悲しみの奥にはたくさんの未来への種があったという感じがしています。それらをどう料理していくのか、それがまさに魔術師の本領発揮ということなんでしょうね。