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今朝見た夢と踊ることの意味

昨日のnote「一里塚」の中で、このように書きました。

あの日、あのタイミングで、あれ以上のことはできなかったし、あれでよかったのだと思えるようになりました。そして、しっかりとこの踊りが自分にとっての一里塚となったということを確認できたように思います。

ある意味、いいも悪いも含めて、今の自分を受け入れられたということなのだと思うのですが、今朝目覚めた時に、今までより客観的に振り返りができるようになっていたと思います。

足りなかったのが何か、どこが見えてなかったのかがわかったような気がしたのです。練習していた頃から、リハーサルを経て、課題になるところはいつも同じだったのですが、どうやらそれを昔のやり方で克服しようとしていたらしいということですね。

それは昨夜寝る前にまた本番の動画を見ながらなんとなく気がついたことでもありましたが、朝目覚めた時には、はっきりと取り組みの方向性というか、意識の持ち方というか、何が違っていたのかということがわかった気がしました。

そもそも、最も大事な部分だからこそ、昔頑張ったやり方で、それなりには認められることもあったやり方を使って、問題を克服しようと足掻いたということだったかも知れません。


そういえば、目覚める直前、夢を見ていました。

山の上の方、標高の高いところにある家で暮らし始めたらしく、周りは緑がいっぱいです。古い街並みが残っているけれど、どうやら元々は廃墟だったようで、そこに辿り着いた人たち数十人くらいで街を再興しながら暮らし始めたようです。残っていた建物をうまく再利用しながら、かつてその街を作った人たちのアイデアや工夫を辿りながら、少しずつ手を加えて、自分たちなりの街を再興しているというような夢でした。

そうして目覚めた瞬間に、上で書いたような気づきがあったので、どうも僕の意識の位置が少し変化したのかも知れないと思います。

もう本番は終わってしまったけれど、今のこの、何か気づいた状態で、またあの場面を練習してみたいと思いました。そうすれば何か新しい変化があるような気がします。そこができたら、やっと原初舞踏ですと言えるのかなとも思います。

きっと、そこの足りなかった部分が気になっていたので、新年会が終わってもクヨクヨしていたようなところがあり、でもそのままではどうしても気がつけなかったんですね。

一度、今回はあれが精一杯だったし、あれでよかったということ、それは自分にとってちゃんと一里塚となるような出来事であったと認め、受け入れたからこそ、今朝の夢につながったのかも知れません。

たぶん、潜在意識には複雑な回路があって、過去の経験もそこには組み込まれているのでしょう。そして、肝心なところであればあるほど、昔のやり方が幅を利かせていて、だからこそ、ここぞというところはうまくいかず、同じ失敗を繰り返すというようなこともあるのかも知れません。

その複雑に入り組んで、もつれてしまった回路を解いて、もう一度再構成し直すためには、現場に降りて行って、揺さぶってみたり、叩いてみたりする必要があるのかも知れません。それこそが自分の足で歩くということであり、現場に降りていくということであり、踊ることの意味なのかも知れないなと思いました。

今回、新年会で踊るというチャレンジをしていなければ、夢の中の山の上の街にも辿り着いていなかっただろうと思いますし、今のこの位置はなかったと思います。

まだまだ挑戦は続きそうです。そして願わくば、その一歩一歩が「強度のある足跡」となって、さらなる大地を開拓していけるようにと思います。

そして、そのプロセスそのものが宇宙の創造物語であり、新たな神話として宇宙史に刻み込まれていくのだということを、胸に秘めながら、精一杯自分らしいことをしていきたいと思います。

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