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月とパスワーク

昨日のスリーカードを引いた時に、その残りの山の中から、ついでにパスワークするための大アルカナの一枚を出してみようと思って、上からめくっていくと、最初に出たのが「月」でした。

なぜだか、ああ、「月」か、と思いました。月に関しては、マドモアゼル愛さんの月欠損問題について、あれやこれやと書いてきたので、ここでまた月と向き合うということは、そのあたりの経緯にも触れるようなことがあるのかも知れないと思ったことと、月自体が持つちょっと暗めな雰囲気も合わせて、なんとなく今はあまり見たくないなと思ったのです。

しかし、それでも、しばらく月のカードを眺めたのです。でもやはり今ひとつ気乗りしない自分に気がついて、その気持ちを尊重した方が良いと思ったのですね。

これからパスワークをするカードということを、ちゃんと意図してシャッフルしてなかったし、これは仕切り直して最初から選び直した方がよいだろうと思いました。

そして、新たに丁寧にシャッフルして、新たにできた山を上からめくっていくと、最初に出てきたのはやはり「月」でした。(^^)

あああ、そういうことなのかと畏まりつつ、タロット怖!っと思いました。今日はやはり月を見なさいと意図されているようです。ここでまた、愚者のニヤッと笑っている顔が浮かんできて、僕も笑ってしまいました。


トートの月のカードを見ていると、なんだか身構える感じがあります。雰囲気が暗いのは、潜在意識の入り口だからということなのでしょうか、門があって、門番が立っています。

門番はアヌビスという死神だそうで、ジャッカルの頭を持っています。足元にはジャッカルが狛犬のように見張っているので、なんとも禍々しい感じがします。

簡単には通り抜けさせてはもらえないような感じがして、一瞬ウッとなります。

しかし、よく見ると下の方にスカラベ(?)がいて、太陽のような玉を押し上げてきています。不穏な水の中から太陽が上がってくると、たぶん空気は変わるのだろうと思います。

月は18番ですが、太陽は19番ですから、月を成就した暁には太陽に至れるということなのかも知れません。あるいは、月と太陽はお互いに重なり合いながら、協力し合いながら、進んでいくというような関係があるのかも知れません。

たぶん、月から太陽に移行することが、大事なことなんだと思うのですが、太陽はまだ不確定なのでしょう。水の中の太陽は湿気っているかも知れません。

でも、このカード、正中線は明るいんですよね。不安は不穏となって、影をさしていますが、真ん中のラインはとても明るく、希望を感じます。

ヨッドという神の恩寵というようなエネルギーが描かれていて、太陽のエリアと月のエリアが接するところで、つながろうとする気配があるのを感じます。

ここに、垂直方向に向かって、ずっとエネルギーが通る道があるんだろうと思います。それがアートということなのかも知れません。アートは錬金術のカードで、不可能を可能にするためのメソッドがそこにはあります。

そして正中線のパスという意味では、女教皇もそうなのかも知れません。たしか女教皇は月でしたし、直感でしたし、ラクダでしたし、エレベーターで、垂直に太陽を運ぶような存在なのかも知れません。

だんだんつながってきましたが、やはり月も二つの側面があるということが、トートタロットの中でも示されているということだと思います。

方や、不安で不穏な側面。
方や、直感を司る女教皇の側面。

月の欠損というのは、不安と不穏の未熟な月を見た時に見える月なんだろうと思います。

しかし、月にはもっと深い存在理由があるわけで、それが直感であり、女教皇的な側面ということだと思います。

なるほど、思いがけず、月の二面性を見ることができた感じがします。こうやって月は決して欠損だけではないということがわかるようになっているのだと思います。

そう言えば、絵の下の方にある青と赤の波模様と、同じような波模様が、上の三日月の暗い部分に90°角度を変えた状態で描かれています。

これはある意味、変換を行った痕跡と言えるのかもしれません。90°の変換は、複素平面においては、虚数「i」をかけるということを意味しますから、もしかしたら、クロウリーも複素平面のこと、数学的な意味を知っていたのかも知れないと思うのです。こういう所、ほんとおもしろいところだと思います。

よく見るとアヌビスは鍵を持ってますね。鍵がないと入れない門みたいな感じでしょうか。鍵を持っているということは、大きなことです。鍵がないと入れないし、始められないわけですからね。

少し前、石井ゆかりさんの本を読んで、「占い師はナシ」ということを考えざるを得なかった時、それは鍵を持っていないということだったんだと思います。鍵があれば、扉は開けられるんですね。なんかそんなことが思いに浮かんできました。

僕自身、このトートタロットに出会って、鍵を見つけたと思ったのは、月の門を通ることができるという事であり、それができれば、太陽に至れるわけです。きっと鍵というのは、そういうモノなのだろうと思います。

また、向き合い、チャレンジしないことには鍵は手に入らないとも言えるだろうと思います。

ヌーソロジーにおける鍵は空間の構造を把握するということだと思います。それは虚数の意味を理解すると言うことですから、この月のカードが示していることと通じるところがあるようだと思ったのでした。


少し目を閉じて、月の世界に入っていってみました。

月はベールをかぶっています。そして動きも速いのでどんどん見える世界が変わっていきます。周りが変わるのでそれに影響もされるのかも知れません。

ゆっくり動く星はどっしりと構えていますし、それぞれの速さによってひとつのテーマに滞在する時間が変わるので、月は移り気ということになりますし、長いスパンで考えれば、役に立たないと評価されてもしょうがないのかも知れません。

月に関わり過ぎていたら、大事なことはできなくなるよということが、月を欠損と切り捨てたくなる理由なのかも知れません。たしかに、そのことは知っておく必要はありますが、最後には月の直感力が大事であったことに気がつく時が来るだろうと思います。

「月は欠損 その4」において、マドモアゼル愛さんの涙を見た時に、そのことに気づくために、欠損と言わざるを得なかった時期をこの方は過ごされたんだということを理解しました。

人それぞれにタイミングというのはあるのだと思います。だから、それでいいのでしょう。すべて、正しい情報に差し替えなければいけない訳ではありません。

この世界は、混沌とした中で、少しずつ少しずつ変容を重ねながら、新しい宇宙を創造している真っ最中なのですから。

そんなことを思いながら、月にまつわるあれやこれやを眺めつつ、包まれつつ、包みつつ過ごしているという感じでした。


月はたしかに謎が多い天体です。不自然に大き過ぎますし、中が空洞ということも、もしかしたら本当にあり得るのではないかと思うところもあります。

シュタイナーとヌーソロジーという本の中に、「月(エーテル体)は変換作用の対化が凝縮化したところ」とあります。

それに対して、「地球(物質体)すべてが中和されているところ」「太陽(意識魂ー自我)人間の精神の等化を行うところ」とあります。

等化とは軸を立てて回転させることですから、ひとつ次元をあげる行為です。地球において、月はエーテル体ですから、まだ形を持たない種みたいなものと言えるかも知れません。その種を育て、次元を上昇していくのは、太陽の役割ということが言えるのかなと思います。

いずれにしても、そのように宇宙は構造化されていて、そこに欠くことのできない存在として、人間は関与しています、否、関与と言うよりも、自らが主体者として、宇宙を創造しているとも言えるでしょう。ただ、みな忘れてますよね。自分が何ものであったのか、この宇宙が自分の過去の履歴であるということを。

ヌーソロジーがいう覚醒期というのは、そういったことを思い出し、本来の姿に戻っていくときと言えると思います。

2013年にはその岩戸は開いたそうですから、そこに意識を向ければ、誰でも秘密が解ける時代になってきてるということかも知れませんね。

考えてみたら、シュタイナーもヌーソロジーもカバラとなじみが深いですし、薔薇十字団とも同じグノーシスの系列の思考体系と言っていいと思いますから、トートタロットが同じコンセプトで形作られているというのは、全くもって自然なことだと思いました。

結果的に、やはり月のカードを見ていって、よかったと思います。奥深いですね。そしてとても興味深いです。

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