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黒澤明監督の「生きる」〜リスのどんぐり〜未知の贈り物
黒澤明監督の「生きる」は何十年も前に見たんだけど、今でも僕の記憶の中に残っています。
主人公が自分で作った公園のブランコに乗って、しみじみとした表情をしている場面は今でもありありと思い出すことができるんだよね。
若い時にああいうのを見ていたというのもあって、僕自身は悔いのないように、かなりやりたいことをやってきたつもりだったんだけど、すべてがうまくいったわけではなく、結果的に経験はしたけど消化不良だったなと思うこともあるし、未熟なままに勢いだけでやったからこその、結果だったなと思うこともあったりします。
今ここまで来て、お米を作る仕事もやめることになって、別に余命を告げられたわけではないけれど、ずいぶんずしんと突きつけられたなと思ったのでした。
今から思えば、やってきたことはどれもこれも財産になっていて、それこそリスが埋めたどんぐりが、いつのまにか森になるように、今の自分の立ち位置があって、これはこれで、なかなかいいんじゃないかということを思うわけです。
この坂爪さんのノート記事の最後の言葉に、「神様は、不必要な人間を作るほど愚かではない。」と書いてあって、本当にそうなんだよなとあらためて確認しています。
この世界に、不必要な存在がないように、不必要な出来事もないんだよね。すべてはすべからく大いなる意図の下に起こっていて、それぞれに目的があり、メカニズムがあるわけで、そういうことを紐解いていくことで、意味がなさそうなところの下にある本当の意味を探り当てるのが、きっと僕の仕事なのだということを、今思ったのでした。
そのためのツールとして、占星術はほんとに深いからね。使えるし、カードも使える。今まで、直感的にこれだと思って準備してきたけれど、結局のところ何をするのかというところの確信が欲しかったんだなと思います。
さっきうとうとしながら見た夢の中で、出会った少女のことがとても懐かしく、たぶんその子と僕は深く繋がっていたということを思いました。
その子は踊り手で、まるでライアルワトソンの「未知の贈り物」に出てきたティアのような少女で、彼女と僕はどこか通じ合っていたのだということを強く思って、気がついたら泣いていたのでした。
そして目覚めてから、この坂爪さんのノート記事を見つけて、今これを書いています。今、夜中の3時。なんか、しっくりと繋がった感があって、身体は充実しています。