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月は欠損について その1

ヌーソロジーのことを書いたら、おすすめにヌーソロジーについて言及されてる占星術の方の記事が上がってきたのですが、この方の記事がなかなかおもしろくて、他の記事もいくつか続けて読みました。

どうやら、マドモアゼル愛さんのところで学ばれている方のようで、「月の欠損」についての記事もいくつかありました。

僕も前に月について書きましたが、これは愛さんの月の欠損という考え方に対して、ちょっと違うんだけどなあという思いを書いたものだったんですね。


月が時にネガティブな影響を与えることはたしかにありますが、やはり欠損という表現は行き過ぎだと思います。

月自体は欠くことのできない存在ですから、そこに否定のエネルギーを乗せることの違和感があって、愛さんがその話をされているのを聞いて以来、愛さんの動画を見なくなったという経緯がありました。

どうしても、否定からは否定が生まれますからね。人を否定していると自分が病気になるということと同じく、そのような視点での欠損という呼び方にガッカリしたのを覚えています。

そんな中で、こちらの記事を読みました。

たしかに愛さんの説を支持してらっしゃるのが伝わってきますが、その説明の中で、欠損の意味がわかってきました。

月は欠損という表現が本当に意味するのは「現実的能力としては欠落していますよ。なぜなら、恐れや自己防衛反応を動機としているのが月だから。でも本質的エッセンスは確実に持っていますよ。それは現象世界に顕れることができないからこそ、永遠に純粋であり、人の魂に訴えかける力を持っているのです」ということです。

このあたりを読みながら、2年前に聞いた欠損のニュアンスとは少し違うのかなと思いました。2年前に初めて欠損の話を聞いた時には、月空洞説の話もされていましたし、フラットアースの話もされてましたし、月は憎むべき、忌避するべき存在であるというような勢いを感じたんですよね。

しかし、このユリシスさんの記事を読む限り、少しイメージは違ってきます。

あくまでも未熟な月のネガティブな状態に対して、欠損と呼んでいるのであって、月そのものを否定するものではないということなのかもしれません。

そうであるならば、僕の月に対する認識となんら変わるところはない訳ですね。それで、なるほどと思って、いまこれを書いています。

欠損という言葉を使うことはやはり違うと思います。未熟ということと、欠損はまったく違うものだからです。

そのことにどうしてもこだわってしまうのは、こちらの記事でユリシスさんが書かれていることと気持ちは似ていると思います。

この中ではうつみんこと内海聡さんが身体を壊されたことに対して、その根っこには人に対する姿勢があったのではないかと書かれていました。

僕も、そのことに関しては全く同じように思っていましたが、実は愛さんの「欠損」という表現にも、同じような感覚を覚えたんですよね。

愛さんの意図されるところはわかりませんが、もし月空洞説で、月が悪い宇宙人の創作物で、そこに元々の悪意が込められていたというところから、月が欠損という言葉になったのだとしたら、それはやはり違うと思います。

ただ、ユリシスさんが書かれているように、月が本質的エッセンスは持っているということであるならば、話は変わってきます。そうであれば、「月は反射」というような、もう少し柔らかい表現にされれば、もっと真意は広がるのではないでしょうか。

たしかに月は反射な訳です。常に月はトラウマ的な事象に関しての引き金になりますから、ある意味、月は時に応じて鳴り出すタイマーみたいなもので、それが鳴る時、鳴る場面というのは、古いパターン、未熟な振る舞いが出てきているよというお知らせみたいなものな訳です。

知る必要があるのは、それらが出てきた時に、どう対処するのか、知っていることであり、月のネガティビティーに引っ張られないようにする視点だと思います。

そういう意味では、月があるサインの反対側にあるサインに注目するということは、ひとつの方法論として、とても理にかなっていると思います。

たとえば、こちらの記事。

この中では、具体的に月が問題になったときの対処法として、月があるサインとは反対側のサインに意識を向けるということを示されています。これは、たしかにとても有効な視点だと思います。

月に乗っ取られない人、上手く付き合っている人たちは、太陽で意識的に生きている結果、ごく自然に反転星座を使っているのです。だから、逆もまた真なりーーです。極めて意識的に反転星座の性質を使うーーそうすることで、ありのままの自分、自然な自分を認めることができ、太陽で生きることにも繋がります。
月は反転サインとワンセット。月が優位になった時には、両方の星座の性質が欠落するか、過剰に反応するーーーという捉え方をすると、なんとすっきりと、すべてが理解できることでしょうか。

僕は月が牡牛座なので、「月が出た」という時には、身体的欲求が満たされないということに悩まされるということになります。その方向に、どれだけエネルギーを注いでも、実際には満たされることはありません。

もしくは、満たしてくれないと、関係者を非難したり、罰したりし始めたとしたら、大事な関係性も全て破壊してしまうかもしれません。

その場合には蠍座に目を向ける訳ですね。

月牡牛座:牡牛座と蠍座の要素が欠落する→蠍座を意識して、深くて真摯な人生の求道者的視点(哲学的視点)を持つこと。物理次元の事象や五感の感覚を超えた視点で真実を見抜く位置につくこと。本当の素のあなたは、成熟した深淵な精神を持つセクシーで深い魅力を讃えた人!

僕はアセンダントが蠍座なので、蠍座的であることも、無意識でやっているかもしれませんが、月のカウンターとして、蠍座を意識すると、また違う視点に到達した感じがします。

たしかに、そのような視点を持つことで、月の欲求に囚われていた次元から、少し高いところに頭が出て行くことになるでしょう。そして、そこに頭が出たならば、月は違う意味で、満たされるだろうとも思います。

月を否定する必要もなく、欠損と揶揄する必要もありません。元々、その月のネガティブな状態も含めて、本質的エッセンスだからですね。月という引き金があるからこそ、太陽を意識できるし、他の天体も使えるようになっていくのだろうと思います。

というわけで、今日はとてもすっきりと見通しが良くなった感じがします。月に囚われたと感じた時には、反対側のサインを意識するということは役に立ちそうです。


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