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女教皇とのパスワーク

今日は、The Priestess、女教皇と出会えたらと思って、しばらく向き合っていました。しかしなかなか波長が合わないというか、とりつく島がないというか、結局1時間くらいぼーっとしていたという感じでした。時々、おかっぱの少女が現われてこちらを見ていますが、進展はありません。

そういえば、昔ライダー版でパスワークしたときは、女子高生姿のエレベーターガールが現われて、エレベータに乗っけてくれたということを思い出しましたが、そういうことを考えていると、今現在の経験ではなく、頭の中のトリップみたいになってきてしまいました。

これじゃダメだなあと思って、一度あきらめて、ご飯を食べました。少し家族と時間を過ごして、お茶を飲んで、それから自分の部屋に戻って、もう一度やってみようと座りました。

今度は、カードをしげしげと見ることにしました。何度も何度もなめるように見回していた時、下の方に描かれているラクダが目にとまりました。その途端、あああ、砂漠を横切るラクダだと思ったのです。

「砂漠を横切るラクダ」は、獅子座25°のサビアンシンボルです。僕のMCは獅子座24°で、「身だしなみの整わない男」ですが、まだ、よくわかっていなかった頃、ネットの無料のホームページでホロスコープを作ったところ、そのサイトではMCが獅子座25°と表記されていたので、しばらくの間、「砂漠を横切るラクダ」が僕のMCだと思っていました。

なので、ずいぶんそのイメージを見つめたことがあります。ラクダが広い砂漠を水の補給なしに渡ることができるように、イメージとしては遠い宇宙の果てにまで、意識を飛ばしていくという感じです。そこに届いたら触角を伸ばして、情報を得るというようなイメージでした。

とても気に入って、よくそのイメージを見ていたのですが、突然それと同じだと思ったのです。そうしたら、夜の砂漠に星が満点というイメージが湧いてきました。

その瞬間、頭がパカッと割れて、その隙間から星が見えるというような感覚になりました。この感覚は昔インドのカルカッタの安宿で経験したものと同じと言ってもいいかもしれません。あのときは煙の力を借りましたが、今は普通に同じように頭蓋骨が割れて、その隙間から星を見ていると感じています。

やがてカードに描かれているように、クリスタルがたくさん転がっているのが見え、幾何学模様、フラクタルな果物の形状、それらがすべて波のように空間を広がっていきます。

もう無限遠点のことを知っているので、女教皇のいる位置が無限遠点であるということもわかっています。

気がついたら、自分自身が女教皇と一体化していて、椅子に座り、宇宙を覗き見ているような感じがしてきました。

直観というのは直観であり、直観とつながるというのは、宇宙を内在と見る位置に出るということと言えるかもしれません。

女教皇を表現するとしたら、今のこの境地のことなのかも知れないと思います。愚者も、魔術師も、実際には自分自身であるように、女教皇も実際には僕自身の意識が拡張したものと言えるのかも知れないですね。

そんなことがばばばっと頭の中で展開しました。

ということは、すべてのカードが僕自身ということなのでしょう。スプレッドしたときに出てくるカードというのは、僕自身の何らかの反映なんだろうと思います。ここ掘れワンワンという場所があれば、それを反映したカードが出るということでしょう。

そうだとしたら、本当にタロットカードは鍵なのかも知れません。ひとつひとつ、鍵をあけるたびに、ベールが剥がされて行くのかも知れません。

ベールを剥がして、本当の自分をむき出しにしたときに、どんなエクスタシーが待っているのかと思うと、やっぱりやばいカードなんだと思います。(笑)

女教皇とのパスワークでしたが、すごく意識が拡張したというか、だいそれたことをしていたと言う感覚もあります。いいんでしょうか、こんなこと書いてしまって。。。

でもたぶん、これでいいのでしょう。これがタロットの本来の意味であり、目的であり、これを作ったクロウリーさんの意図なんだろうと思いました。

ちょっとやばいですね。もともとそういうおかしな所のある人ではありましたが、トートタロットとはめっちゃ相性が良さそうです。まだ、三日目だというのに。やばいです。

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